藤永修平

私は脳性小児麻痺で手足言葉に障害があり、細かい作業はできません。極端な内股歩きで頭を揺らしながら歩きます。言葉は酔った人のように呂律が回らない喋り方です。四年前脊柱管狭窄症を患い、室内は歩けるものの、外は車イス生活になりました。再就職活動に失敗しうつ病です。現在一人暮らしです。

藤永修平

私は脳性小児麻痺で手足言葉に障害があり、細かい作業はできません。極端な内股歩きで頭を揺らしながら歩きます。言葉は酔った人のように呂律が回らない喋り方です。四年前脊柱管狭窄症を患い、室内は歩けるものの、外は車イス生活になりました。再就職活動に失敗しうつ病です。現在一人暮らしです。

最近の記事

母の入院

   軽費老人ホームA型に入所している母が、認知症が悪化したので、精神病院に入院したお話をしたいと思います。   その前に、我が家の生活環境について説明します。  私は、脳性小児麻痺で手足言葉に障害があります。細かい手作業はできません。足は極端な内股歩きで歩くたびに頭を揺らしながら歩きます。言葉は、酔った人のように呂律が回わないような話し方です。  そんな私ですが、2016年の冬頃から腰から左足に掛け、激痛が走り、歩けなくなってしまいました。病院で診てもらうと、化膿性

    • 車イス生活者のダイエット

       私は、脳性小児麻痺で手脚に障害があり、室内では歩けますが、外では車イスです。父はすでに他界し、母は施設にいます。兄弟も妻もいません。一人暮らしです。  障害があるため、家事や入浴も一人ではできず、月曜日から日曜日まで毎日ヘルパーさんが入っています。  年末年始、ヘルパーさんが隔日にしか来ないため、そのヘルパーさんが来ない日をポテトチップスや甘いアンパンなどの菓子パン類で過ごしました。  正月明けの10日、それまで着られていた服を着ようとすると、ウェストのボタンがはまりませ

      • 途方に暮れてます。

         私は、3年前から脊柱管狭窄症を患い、室内はなんとか歩けますが、外では車イスで移動しています。  このような状況なので、重いものを持つと、すぐに腰が痛くなります。  また、1年半からひとり暮らしです。  毎日家事援助でヘルパーさんが来て頂き、食事の準備をして頂いています。  食材は、食材配達業者のパルシステムが週に一度食材を届けて頂いています。  食材は発泡スチロールの箱に入っており、玄関に置いてもらっています。重いものを持つと、すぐに腰を痛めてしまうため、ヘルパーさんにはパ

        • 【脳性小児麻痺による二次障害かも】

           私は脳性小児麻痺により、手足言葉に障害がありますが、今日は足のことについて書きたいと思います。  両親の話によりますと、私が脳性小児麻痺であることがわかったのは、三歳の頃だったらしいです。それまでは、歩くこともハイハイもすることができず、仰向けで寝かしておくと、常に両足を交差させる姿勢を取り、整形外科で診てもらうと、脱臼ではないかと言われたそうです。  そして、病院を転々とし、ようやく脳性小児麻痺の専門病院で脳性小児麻痺であることが分かりました。今のようにリハビリが行わ

          【精神病院への入退院】

          私は、三回精神病院に入院したことがあります。そのうち二回は、措置入院でした。  今回は、その精神病院入院した経緯についてお話ししたいと思います。  まず、最初に入院したのは、2002年でした。きっかけは、当時まだSNSが盛んに行われていなかった頃でした。私は、自分の考えを多くの方にわかって欲しく独自でHPを開きました。  私は、うつ病で1995年から精神科に通院しています。精神疾患の人と交流を持ちたく、私のHPを見て頂いている方とメル友になりました。その中で、Aさんともメル友

          【精神病院への入退院】

          【子どもの頃見た幼児番組】

           私は、子どもの頃よりテレビっ子でした。幼稚園に入るまで、朝から夕方までテレビにかじりつきながら見ていたものです。午前中9時から教育テレビを見ていました。教育テレビとは、何じゃとおっしゃる方がいるでしょう。現在でいうE TVのことです。その教育テレビは、9時より幼児向けの番組が11時頃まで続いていたと思います。それを見るのが大のお気に入りの子どもでした。  そうそう11時からは、日本テレビで放映されていた「ロンパールーム」ということも、番組に教育番組から切り替え見ていました

          【子どもの頃見た幼児番組】

          【六十五歳の壁の打開策】

           ゴーデンウィーク中の五月四日、ヘルパーさんに昼食を作って頂いているとき、スマホの呼び出し音が鳴り始めました。  スマホの画面を見ると、相談員さんからです。私はこのゴールデンウィーク中に電話があるとは、よほど緊急な用件かと思い、掛かってきた電話に出ます。  電話に出ると、「今大丈夫ですか?」と。その声は慌てた雰囲気のものではなく、普段通りの口調。「はい。今ヘルパーさんが昼食を作って頂いていますが、大丈夫です」と返答。  「実は、この前藤永さんが気にしていた六十五歳以降のことな

          【六十五歳の壁の打開策】

          【65歳の壁】

           私は、脳性小児麻痺により、手足言葉に障害があります。手に関しては、細かい作業ができません。脚に関しては、極端な内股歩きで歩くたびに頭を揺らします。言葉は、お酒に酔った人のように呂律が回らないような喋り方です。  2017年、私は脊椎管狭窄症を患い、腰と脚激痛が走り歩けなくなり、入院しました。リハビリの成果もあり、30分ほどまでは歩けるようになりました。  しかし、2019年に精神安定剤と眠剤を大量に飲み、市民病院に搬送され、一ヶ月後精神病院に転院。その前年に父は他界。それま

          【65歳の壁】

          昨日の鍼灸師さんと鍼灸をしながらの医師の接し方の会話です。 私:「リハビリ病院の精神科の主治医は、持参した文章を丹念に読んでくれましたが、現在の精神科の医師は、斜め読みでつき返します」 鍼灸師さん:「それは、リハビリ病院だからでしょう」 そう言うものなのかなぁと思いました。

          昨日の鍼灸師さんと鍼灸をしながらの医師の接し方の会話です。 私:「リハビリ病院の精神科の主治医は、持参した文章を丹念に読んでくれましたが、現在の精神科の医師は、斜め読みでつき返します」 鍼灸師さん:「それは、リハビリ病院だからでしょう」 そう言うものなのかなぁと思いました。

          【私にとって文章を書くこととは】

           一ヶ月前、相談員さんから、「就労支援B型(身体障害者の作業所)に行ってみないか」と言う提案がありました。  私は脳性小児麻痺で、手脚言葉に障害があります。手の障害は、ほとんど細かい作業はできません。  そのため、相談員さんからこの提案が出されたときは、私にできる作業があるだろうかと思いました。実際見学に行ってみると、私にできるものはありません。  しかし、所長さんの話では、「藤永さんにもできる作業を作ります」と。私も、文章を書くネタも出てくるのではと思い、一旦は行く気になり

          【私にとって文章を書くこととは】

          【今更の自己紹介】

           私は脳性小児麻痺で手足言葉に障害があります。ここ数年の間に障害が重くなってきた感じがします。手に関しては、握力が落ち、しかも、指先の動きも鈍くなってきてます。  一方、足に関しては、以前までは極端な内股歩きで、歩くたびに頭を揺らして歩いてました。しかし、2018年に脊柱管狭窄症を患ってからは、三十分程度歩けるか、歩けないかになってしまいました。  また、私は1995年からうつ病で精神科に通院をしてます。2019年にあることがあり、精神安定剤や眠剤を大量に服用し、市民病院に搬

          【今更の自己紹介】

          半日前にある方の作品を読み、コメントできたのに、今コメントしようとしたら、コメントをつけると言うアイコンが見つかりません。自分の文章にもコメントをつけるが見当たりません。

          半日前にある方の作品を読み、コメントできたのに、今コメントしようとしたら、コメントをつけると言うアイコンが見つかりません。自分の文章にもコメントをつけるが見当たりません。

          【相談員】

           2015年、父が施設に入所し、入居費と月々の維持費を支払うことができず、母と私は、藤沢の家を売却し、平塚に引っ越してきました。当時は、私はまだ脳性小児麻痺で脚に障害があるものの、歩くことは可能でした。  私は、約20年近くうつ病を患っており、精神科に通院しています。通院は、母の運転によるものでした。ただ母も80歳代を迎え、母の手を借りずに通院しなくてはいけない。でも、歩けるものの一人では不安ということで、移動支援を利用しようと思いました。  引っ越ししてから間もなかったので

          【相談員】

          【作業所に行くのを辞めた理由】

            私は脳性小児麻痺で手足言葉に障害があり、細かい作業はできません。極端な内股歩きで頭を揺らしながら歩きます。言葉は酔った人のように呂律が回らない喋り方です。  障害の程度は二級です。障害の程度は一級が最も重く、二級は一級に次いで重い分類になります。一、二級は重度の分類です。  私は小学四年生まで養護学校に在籍し、それ以降は地域の小中学校に通学しました。高校はミッション系の高校に進学し、大学は香川県の大学に行きました。  これまで多くの方の援助で育って来ましたので、社会に出た

          【作業所に行くのを辞めた理由】

          【iPadとスマホ】

           現在私が使用している携帯は、ガラケーではなくスマホです。  まず、ガラケーからスマホに買い換えたのは、2011年でした。買い換えた当初は、ガラケーからスマホに買い換える人が多く、私もと言う気持ちで買い換えました。  買い換えてわかったことがあります。それは、私にはスマホを使いこなせないと言うことでした。なぜかと言うと、私は脳性小児麻痺と言う障害で手に障害があり、不随運動で手が震え、細かい作業ができません。このことを頭に入れずに、ブームに乗り遅れないと言う勢いだけで買ってしま

          【iPadとスマホ】

          【帰省時の思い出(その2)】

           私が卒業しました大学は、四国の香川県にありました。  自宅は神奈川県の鎌倉市です。家から大学に行くには、最寄りの駅からモノレールに乗り、大船に出、大船から東京に。東京からは新幹線で岡山に出、岡山から宇野線で宇野まで行き、そこからはまだ瀬戸大橋が完成していない時代でしたので、宇高連絡船で宇野から高松に出、高松から土讃線で大学のある最寄りの駅に到着し、やっと下宿に着きます。  自宅を朝の八時に出、下宿に到着するのが夕方の五時ですから、九時間ぐらい掛かりました。  また、空

          【帰省時の思い出(その2)】