見出し画像

【わたしの構築式】#003メディアに踊らされるな。

わたしが大学4年生のころ。
課題についてネットで調べものをする
ということが多くなってきた時期でした。

当時はまだFacebookもTwitterもなく、
mixiが流行った時期でした。
わたしは建築学科の中でも
都市計画を専門とする研究室だったこともあり、
建物に限らず、まちづくりなど
いろいろネットを利用していました。
まだまだ「口コミ」のような手軽に意見が
発信できるような時代ではありませんでした。

ある日課題について先生と話をしたときにこういうやり取りがありました。
T(わたし):「〇〇について調べてきて
        こういうことを考えました。」
M教授:「それはちゃんと調べてきたのか。」
T:「はい、ネットで調べたものが8割、
   書籍で調べたのが2割です。」
M教授:「では、その話は真実ではないようだ。」T:「……?」
M教授:「書籍なら著者の意見や考え方がまとめられているので、
そこは何の問題もない。
学術的にも説明がつくだろう。
でもネットはどこの誰が書いたのかわからない。
それは真実が含まれているもしれないが、
虚偽も潜んでいるかもしれない。
そのような情報に意味はないと思え。」

この言葉は、今でもわたしの根幹を担っています。どこの誰が書いたともわからない情報。
名前があったとしてもその人間が
真実を語るに値する人物かどうかもわからない。
そういったところに気を付けるよう注意されたのです。
今思えばそこから、「情報」というものを
単純にとらえるのではなく、
多角的に見てみたり、本質は何かを考えながら
人の話を聞くようにしました。
誰かが実際に実施したことだから
それは正しいとは限りません。
さらに、成功したという内容の文章を見ても、
むしろデメリットや心配していることが
潜んでいないか、注視する癖ができました。

ネットにある情報には、
真実がすべて書かれているとは限らない。
良い部分だけを見せるように仕組むことも容易です。
あくまでネット情報は単なるネット情報。
それをどのくらい自分が掘り下げてかみ砕いて、
解釈して、自分なりの真実を導き出すか。
それが大事なのだと思います。

朝のニュースを見ていると、
視聴者からの提供画像が頻繁に出てきます。
確かにその決定的瞬間をとらえているのかもしれません。
でもこの動画を撮っている人を現場ではたから見ると…ただの野次馬だし、不謹慎な人だとおもってします。
また、海外のニュースも動画で出てきますが、
たまたま動画検索で引っかかったといわんばかりの内容だったりします。
本当に朝のニュースに取り上げられるべき内容なのか。
もっと伝えなければならない情報があるのではないのか。
報道記者の単なる怠惰ではないのか。
そんな風に毎朝思っています。

TikTokやInstagramなど気軽に表現できることはとてもいいことですが、
「映え」を求めすぎたり賛同を得ようと
モラルのないことまでしてしまう人もいると思います。
そういう状況を考えるとまだまだネット情報はあてにならないな。
と我に返るわけです。
昔の報道記者の方がよっぽど真実を伝えようと躍起になっていたように感じる今日この頃です。

最後まで読んでくださってありがとうございました♪

いいなと思ったら応援しよう!