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あなたは何を「さがす」か。

「お父ちゃんな、指名手配中の連続殺人犯、見たんや。捕まえたら300万貰えるで」
そう言って消えてしまった父・原口智(佐藤二朗)を中学生の娘・楓(伊東蒼)がさがす物語。
その連続殺人犯/通称:名無し(清水尋也)はSNSで死にたい人をさがして、呼び出し、殺害し、バラバラにしていた。

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公開前からSNSで話題になっていて、わたしも楽しみにしていた。
監督・片山慎三は、これまで韓国を代表する映画監督ポン・ジュノ「母なる証明」や山下敦弘監督「苦役列車」など誰しも目にしたことがあるようなあの映画、この映画の助監督を務めてきた実力派として知られている。
また、2018年に自費制作した「岬の兄妹」で映画ファンに瞬く間にその名を轟かせた。岬の兄妹は「自閉症の妹と、その妹を売春させる身体障害のある兄の物語」という何とも壮絶な作品だった。
その片山監督の商業デビュー作「さがす」なのだから期待せざるを得なかった。

大阪では茶屋町LOFTの地下にあるテアトル梅田で上映されている。
たまたま休みが合って行った2/10は上映後に監督のティーチイベントが開催されていて、思いがけず監督の話を聞くことができた。

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今回はそんな「さがす」の感想をネタバレなしでまとめたいと思う。

泣かせないズルさ

ダークなテーマを好むわたしにとって、かなり好きなタイプなことは確かだけど、今まで見てきた映画と大きく違うのは泣かなかったこと
基本的にわたしは涙もろく、JTのCMでも泣くし、はじめてのおつかいは自分が5歳だったときから泣いていた。
でも「さがす」には商業的な「泣かせる」演出がなかった
これは近年見た映画の中でも、特に日本の映画では結構希少。
不必要に情緒的なカットや、涙を誘うような音楽挿入がない。
にも関わらず見てるこちらの情緒はぐちゃぐちゃになり、怒りとも悲しみとも言えない何かに圧倒されてしまう。
すべてを説明しすぎず、見ているわたしたちに結論を委ねているのもズルい。
「さがす」という単語として分かりやすいタイトルながら、「誰が」「何を」「どうして」さがしているのかを明確にしてくれない
常に頭を回転させながら感じ、考えないと置いていかれてしまう。
どうしてもわかりたい、なぜ、なんのために、どこに。

大阪というロケーション

大阪・西成が舞台。「治安が悪い」イメージが根強いその町は、日雇い労働者が集まり、低価格帯の宿屋、居酒屋などがひしめく活気のある町でもある。
一昔前まではクスリの売人がウロウロしていたという。
ドープな雰囲気でありながら、少し足を伸ばせは大阪の観光名所「通天閣」や「天王寺動物園」などがある不思議な場所・西成。
そこで暮らす親子のリアルな生活は「貧困家庭」のそれであるが、同時に関西人ならではの「芸人のようなノリ」で会話する親子を見ているのは心地良いものがある。
関西弁で交わされる軽妙なやりとりや、大阪ならではの町並み、実際にそこで暮らす人々のリアルな映り込みも見どころの一つと言えるだろう。

魅力的なキャスティング

ファニーな役どころが多い佐藤二朗が「さがす」で演じている原田智は、常に多くの矛盾を抱えた男だ。

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矛盾だらけの男だが、シリアスなシーンでも、涙を流すシーンでも、佐藤二朗が持っている天性のファニーさがいい味となって効いている。

つい最近「空白」で目にした伊東蒼は多数口コミがあるように演技力モンスターで、困ったようなその顔がなんともリアル。
喜怒哀楽どれをとっても繊細で生意気でしっかり者の楓なのである。

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軒並み魅力的なキャスティングなので、ぜひ映画を見る前に公式HPに目を通してほしい。
「さがす」公式サイト/https://sagasu-movie.asmik-ace.co.jp


真実を「さがす」

映画は父をさがす娘・楓の視点から始まるが、その後、殺人犯の視点、父親の視点と切り替わっていく。
そしてそれぞれの人間の抱く感情や矛盾が混ざり、繋がって、着々とひとつの物語になっていく。
SNSで死にたい人をさがして、会っては殺すを繰り返している殺人犯・名無しは死にたい人を殺しているという面ではある意味救世主だったりして?
何てありきたりな想像はすぐさま木っ端微塵に砕け散る。
殺した人間が男だろうが、おじいちゃんだろうが、その顔を隠し、白い靴下を履かせ、それを見ながら自慰行為する姿は理解不能で異常者としか言えない。
でもそんな異常者もある側面から見れば確かに生きる人間なのだ。
購入したパンフレットの中で名無しを演じる清水尋也は「名無しは何を探していると思いますか?」という問いに「愛をさがしていると思います」と答えていた。

話が進むごとにどんどん重くなる。
ああ、どうかどうか。祈る気持ちで見ていると突然裏切られる。
何度も「もう誰も信じられない」という気持ちになり、ようやく辿り着くラストシーンは「絶句」である。
もちろんキャストは話しているが、わたしは絶句、思考停止。
「なんで?」のループが止まらない。

人の「死にたい」という感情はどこまで本心なのだろうか。
「死にたい」と「正しくありたい」は果たして反対の意味なのだろうか。
「正しさ」と「異常さ」は表裏一体ではないだろうか。
「愛」は時に「異常さ」の現れではないだろうか。


わたしはそうやって、見てから数日経った今でも全部の「意味」をさがしている。

日本の映画はつまらない?

映画を見た後レビューを見ていると「難しくてわかんなかった」という意見を目にする。
わからなかったという自分の想像力や理解力の欠如を「つまらなかった」にしてしまう人もいる。
「(タイトル) ネタバレ」という記事がめちゃくちゃプレビュー数を集めるのも、できるだけ端的に結果だけ享受したい現代の日本人の性質の現れのように思う。
だからこそ日本の映画製作者側は、安易な「3回泣ける」「あなたは絶対騙される」「衝撃のラスト」など100万回は見たようなキャッチコピーをポスターに所狭しと貼り付けざるを得ない。
でもそれによって「泣けなかった」とか「ラストが想像できた」とか、重箱の隅をつつくようなレビューが溢れかえる。「わかりやすいこと」を求めるようになってしまう。
もちろんわかりやすく、思考停止しながら見ることが出来て、笑って泣ける映画も素晴らしいと思う。
でも、日本国内にはこんなにも素晴らしい監督や役者がいるのだと、もっと国民に気づいてほしい。
ハリウッドにはハリウッドの、韓流には韓流の良さがあるように、メイド・イン・ジャパンの映画にしかない魅力は必ずあって、それは「さがす」のような作品にあると思う。
わたしたち映画好きも「分かる人にだけ分かればいい」と高みの見物でいるより、「普段は絶対こんな映画見ない」という人に見てもらうことに意味がある。
わたし自身そう思って、誰が見るかもわからないnoteをこうやって更新しているわけなのだ。

決してキャッチーな映画ではないが、蓋のしまったゴミ箱を恐る恐る開けるように、道路で死んでいる生き物を薄目で見てしまうように、本当は見たくないものを見たいという己の矛盾と対峙してみてほしい。
そして、昇華されることのない、自分の心に重く残るものが何なのかをさがしてみてほしい。


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