見出し画像

映画『レ・ミゼラブル Les Misérables 』を観た

ミュージカルが好きな知り合い(元同僚)に誘われてDolby Cinema でレ・ミゼラブルを観てきた。夏にRENTに連れていってくれた人。

すごかった。
ほぼ歌でストーリーが進んでいくんだね。これはDolbyで観る価値があると思う。というか私はDolbyでの鑑賞自体も初めてだったので、音の臨場感でこんなに没入感が違うとは思わなかった。

ストーリーも銀食器から市長になるところまでのエピソードは知っていたけど、それ以降は知らなかったので「こんな話だったのか〜」と。
クライマックスの六月暴動についても今調べて知った。

ジャン・ヴァルジャンの犯した罪に対して罰が重すぎたり、女性と子どもに対する扱いのひどさだったり、細かいところで思うところは多い。

けれども観ていて心にきたのは「人はどこを切り取ってその人のことを判断するのか」ということと「罪というのはどこで精算されたと考えられるのか」ということ。

警官ジャヴェールはヴァルジャンを執拗につけ狙うが、彼の根底には「どのような理由があれ法を犯したものは一生涯罪人である」といった信念が感じられる。
ヴァルジャンは司教の愛ある行動から悔い改めて正しい人として生きるけれど、ジャヴェールが現れるたびに過去の罪が彼にのしかかる。
そもそもパン一つ盗んだ罪で5年の投獄は長すぎるし、19年に伸びた刑期も脱獄が理由で悪事は犯していない。それどころか、改心してからは私財をつかって人を助けたりしているのだから、人のどの面を見るかというのは重要なことだ。
ジャヴェールは結局、六月暴動でヴァルジャンに命を助けられ、自身の信念が揺らいだ結果自殺してしまうわけだが、この「正しさの対決」って西洋的だなとちょっと思った。ヴァルジャンがジャヴェールに言ったように、「ジャヴェールは法と職務に従っただけ」だったのに、彼自身が自分の行為を「それだけのこと」としては捉えてなかったってことだよね。警官としてじゃなくて、ジャヴェール個人の意思と信念が彼の行動にのっかっていたというか。だからジャヴェールは自分の正しさに準じて死ぬことを選んだ。

ジャヴェールとヴァルジャンの対決だけだと暗くなってしまうので(というかストーリーはほとんど暗い要素しかないが)、コゼットとマリウスの恋愛は最後のハッピーエンドに不可欠な要素だったから良かった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集