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映画『福田村事件』を観て;差別をつくるウチとソト

ネタバレあり

映画を観る前のあらすじとして知っていたのは、時代が関東大震災の前後であること、香川からきた行商人たちが朝鮮人と間違われて村人から虐殺されたことというざっくりしたものだった。

実際にあった事件をもとにした映画とはいえ、ドキュメンタリーではないから、これから書く文章はあくまで映画としての感想になる。

ウチとソトの意識

この事件は、日本人による朝鮮人差別が根本にあるように描かれているが、私が強烈に感じたのはむしろ、村人たちのウチ意識とソト意識である。

村の思想や生きかたからはみ出したり浮いたりしていると、村に住んでいても「同じ村の仲間」という枠から少しはずれる。

例えば、主人公として登場する澤田は教師をして朝鮮で暮らしていたが、出身地である福田村へ百姓をするために帰ってくる。村長の田向が村で教師をやってくれと頼んでも応じない。
その澤田の妻である静子は朝鮮で事業を成した重役の娘だ。村では誰も着ていない洋服をきて、日傘を差しているだけで浮いているし、毎日やることもなく、船頭の倉蔵が漕ぐ小舟でただ川を往復する日を過ごしている。
村のなかでも、遺骨で戻ってきた夫が出征しているあいだに浮気を疑われていた咲江は、姑から疎まれている。その浮気相手である船頭の倉蔵も、間男として後ろ指をさされている。
そして村長である田向もまた、在郷軍人である長谷川から兵役逃れのために上級学校へ進学したのかと疑われていた。

村の人間は、日本人であるかどうかという基準よりもっと手前の意識で人間を分別している。
そして、狭い共同体のなかの、逃げも隠れもできない人間関係がどんどん煮詰まってはけ口を求めている窮屈さが、福田村にはあった。

差別される人々

一方、行商人の集団である15人はどういう人たちかというと、常に差別され続けていた側の人間である。
彼らは住んでいる土地で生計をたてられる途がなく、行商をすること(土地を移動すること)で金を稼いでいる。
行商の親方は、今回からはじめて行商についてくることになった少年に言う。「おれたちは自分よりもっと弱い奴らから銭を奪わんと生きていけん」と。
常に差別され、そのなかの視点で生きてきた親方は、上記の言葉のとおり、ある意味で強者が弱者から奪うという社会を肯定している。
しかし関東大震災を東京でむかえ、朝鮮人差別を目の当たりにしたとき、たぶん親方のなかでずっとくすぶっていた疑問や思いが行動に少しずつ表れてくる。

部落出身者である行商人たちは同じ日本人同士なのに、差別されている。
朝鮮人は民族が違うという理由で犯罪者扱いされている。日本という土地で、日本人に差別され、安心して暮らすことができないという点において我々は同じだと、親方は思ったのだと思う。
今までは自分たちより弱い障碍者・病者に効かない薬を売りつけていた親方は、せめてもの罪滅ぼしにと巡礼者に施しをし、朝鮮人の少女からは飴を買う。
奪い合うのではなく、助け合う。

事件の場面

福田村の各戸に行商人が薬を売りにきて、澤田家は静子が夫のために湯の花を買う。
利根川を渡るために船頭の倉蔵と交渉する親方は、関東大震災で商売ができなかったぶんの損失を埋めたいという気持ちがあり、渡し賃を値切ろうとするが、そこで倉蔵と悶着をおこすことになる。これが事件の発端だ。

震災下において、朝鮮人が日本人を虐殺しただの井戸に毒を入れただのという噂はすでに村にも届いており、数日前までは朝鮮人の暴動や略奪を恐れて、各地でも自警団を結成していたがそれらは解散させられていた。

この騒動をきっかけに、もともと村人のなかに溜まっていた人間関係の疑心暗鬼や鬱憤が、行商人たちをはけ口の対象と決めてしまう。具体的には彼らを朝鮮人だと決めつけることで、殺してもよい対象としてしまう。

村長の田向が、興奮した村人たちを止めようとしてもそれは効果を持たなかった。
村のソトの人間は仲間でもないし、胡散臭い行商人たちを朝鮮人と断じることに対して村人たちには躊躇いが見られない。彼らは「村を守るため」「国を守るため」と口にする。
ウチとソトの意識の強い村の人間を止めようとするのはむしろ、村の中でなんとなく浮いている人々である。ウチとソトの境界にいる人たちだ。
澤田は必死に村の人たちに説明する。「この人たちは行商人だ」と。「うちは湯の花を買った。道後温泉のだ」「みんなも何か買ったろう!?」と。

田向や澤田夫妻が「彼らは日本人だ」と村人を説得しようとしているさなかに、行商の親方が言い放つ「朝鮮人なら殺してもいいんか」という台詞のあとに、悲劇が始まるのである。

集団の類似性

この惨劇において、特に声が大きかったのは在郷軍人会の存在である。会は日露戦争以降の退役軍人を中心に構成されているが、兵役検査で合格した若者の教育も兼ねていた。
彼らは、国を守ることと村を守ることが正義だと信じて疑わない。そのために自らの自由を手放して軍隊に入ることも、戦争で敵を殺すことも、自分が戦争で死ぬこともすべて肯定してしまう。そのように教育されている。
でもそれはあくまで軍隊のなかでの倫理である。
村は戦場ではない。軍隊の外の社会は、軍隊の倫理だけで動いているわけではない。けれども彼らは、軍隊で培った正義と倫理を疑いもせず、村のウチの正義として振りかざしたのである。

自分のなかの正義を振りかざしたいと思ったとき、ひとは必ず一度立ち止まらなければならない。
そして自分のなかにあるウチとソトの境界を見つめなければならない。それが差別をつくる根のひとつだからである。

参考サイト

日本における徴兵忌避
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/3600/1/0150_022_001.pdf


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