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失語症になった母との会話

母は病気・手術によって、失語症になってしまいました。

母の読み書き練習についてはこちら↓


今回は、会話について記しておこうと思います。

母は今でも多少言葉の出にくさがあるのですが、2回の手術により、症状は大幅に改善しました。

普段の会話には特に大きな問題はなくなり、少し会話をする分には「そんなことがあったなんて信じられない」と言われるほどです。

でも、一番ひどかったときは、例えるならば、「きっと日本語だけど、どこかの外国語よりも難しい言語」という感じでした。

母が発する日本語の単語はもちろん聞き取れるけれど、たとえ文字起こしをしたとしても何か意味を成すものにはなりませんでした。

「どこかの外国語よりも難しい」としたのは、コミュニケーションにおけるキャッチボールがまったくできなかったからです。

簡単な英語やジェスチャーでさえ分かり合えない、時代も文化もまったく異なるどこか別の星から来た母とは、人と人とのコミュニーションの基本的な部分が大きく欠落してしまっていたようでした。

「トイレ?」や「お腹減った?」などの単純な質問には、かろうじてうなづくことはできたけれど、母から発せられる言葉を理解することは、まさにお手上げ状態でした。


認知面の問題も抱えていて、「これ」「あれ」と指さす方向が毎回変わり、その場に全く合わない単語が羅列されたり、流れてくるテレビの音をそのまま発したり、同じことを何度も言っていたり、もう言葉にもなっていなかったり。


でも私の顔や足を指さして、「ブタ」とか「ニク」とか言ってきたのは、絶対ただの悪口だと今でも思ってる。




看護学生は「傾聴」という言葉を学びます。

看護学生、看護師における傾聴とは、患者さんが思いを表出しやすいような態度で、否定せず、先入観を持たず、共感の気持ちを持って寄り添い、患者さんの言葉に耳を傾けることです。


私も母が言いたいことを理解しようと、傾聴することに努めました。

しかし、意味のまったくわからない言葉を延々と聞いていると、人はどうなってしまうでしょうか。


眠くなります。

こっくりこっくり、舟をこいでいました。


それくらい骨の折れる作業でした。



やがて私も余裕がなくなってくると、母が話す前に「こうでしょ」「それおかしい」「違う」と決めつけや否定をしてしまいました。


私は昔から言いたいことを言おうとすると涙が溢れて何も言えなくなってしまう女の子だったのですが、失語症の母を相手に、初めて言い負かしてしまいました。

こんな状況で論破王になったつもりでいるなんて、私も大人気ないと自己嫌悪に陥ってしまったことは言うまでもありません。


それでもリハビリで作業療法士(OT)さんと話すとき、よくもまぁそんなうまいこと思いついて話せるなぁと、感心するほど流暢に言葉が流れる母。

OTさんもゲラゲラ笑ってくれるのですが、家ではまた別の星出身の母に戻ってしまうのです。

「家ではこんなんじゃないんです!もっとトンチンカンなんです!」と病院で医師に相談してみたところ、それは母に社会性があるから、という話をしてくれました。

「誰でも外ではシャキッとして、家ではだらっとするように、お母さんも社会性がある証拠。外でだらっとなっていないことは、いいことですよ」と言われ、なるほどと納得はしました。

それにしてもトンチンカンな母を理解するのは本当に難しくて、その頃どうやって過ごしたのか、今ではほとんど記憶がないです。

でも一度だけ、母から手話が出てきたのには驚きました。

母は昔、手話を習っていたことは私も覚えていて、「この手の動きもしかして?」と調べたら手話だったのです。

その手話が会話の流れの中で意味をなしていたのかどうかも、もはや覚えてはいませんが、それ自体は正しい手話だったということは、すぐに私も調べてわかりました。


私が理解できずに困っていたのと同じくらい、母も言いたいことが伝えられずに困っていて、それでもなんとか伝えようと頑張っていたのだと思います。

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