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昭和40年代の東京下町歳時記 9月

夏休みも終わり、新学期。9月の終わりか10月に小学校では運動会と学習発表会があり、私のいた音楽クラブは運動会の鼓笛隊と、発表会の練習で忙しくなる。鼓笛隊は小太鼓、大太鼓、鉄琴や笛などを演奏しながらフォーメーションを組んでやるもので、卒業アルバムを見る限り100人以上の生徒が参加していたから、合わせるのもなかなか大変だったと思う。当時のビデオが見てみたい。音楽のH先生の厳しい指導のお蔭で音楽クラブもレベルが高く、木琴、鉄琴、バス木琴、ビブラフォン、アコーディオン、ピアニカ、エレクトーン、ピアノ、ティンパニー等15種類位の楽器があって、指揮も含め多分全部やったことがある。当時はコピーが無かったから、新しい曲をやる度に楽譜を各自手書きで写譜して練習に励んだ。毎日ではないが、確かこの時期は朝練と昼休み、放課後も練習していたと思う。同窓生に聞いたら、発表会は一日二回公演で、4年生で「アウリスのイフゲニア」を演奏していたそうだ。他にも毎週の朝礼の時の校歌などの伴奏や区の音楽会、始業式や卒業式の演奏もしていた。すごい!忙しかったけどこの時期に音楽を色々楽しく体験できてよかった。

委員会活動というのもあって、私は集会委員会。何をしていたのかよく覚えていないが、確かガリ版を使って新聞のようなものを発行していたと思う。字を間違えないように書くのはなかなか大変だったし、出来たロウ紙のようなものを機械にかけて刷って配った。

当時の小学生の間では習い事が流行っていて、私はそろばんとピアノ。そして高学年になると学習塾にも通っていた。親が送り迎えなどしてくれるわけはなく、小学校は片道30分、それ以外は自転車であちこち飛び回っていたような気がする。母親に頼まれて買い物に行ったりもするし、もちろん合間を縫ってゴム跳びや縄跳び、缶蹴り等遊ぶので、今考えてもどうやって全部やっていたのか不思議なくらいだ。

スペインに来て、日本の小学校では掃除当番や給食当番などがあって、自分たちの教室を掃除したり、食べ物を配ったり片づけたりした、と言うととても驚かれる。今はどうだか知らないけれど、あれはなかなか良いシステムだったと思う。

秋は秋刀魚。七輪を外に置いて団扇であおいで魚を焼いていた人がいた。脂ののった焼き魚の匂いは食欲を誘う。サザエさんのアニメの主題歌でもそんなシーンがあった。(笑)

隣の家には大きなイチジクの木があって、この時期お腹がすくと時々食べていた。あまりおいしいとは思わなかったけど。うちには毎年木箱で渋柿が送られてきて、何月何日になったら開けて食べてくださいと、書かれていて、その日が待ち遠しかった。焼酎を吹かけて新聞紙で覆って置いておくと渋柿が甘くなる。特に四角い柿はおいしかった。木箱で届くものと言えば、リンゴもおがくずに包まれて届いた。みかんは段ボールで買っていたから、秋は果物がたくさん食べられる。

お月見の頃になると、土手の下の川っぷちはすすきに覆われ、夕方になると光ってとてもきれいだった。家にもとってきて飾って、月見団子を食べた。


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