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認知症の母日記 入院編7

2024年10月29日(火)
 C施設へ母の面会へいく。母がこの施設に移って、初めての面会だ。
 実家からC施設までは歩いて行ける距離なので、まず実家へ行った。
 実は一人暮らしの父が、3日前と昨日、自ら救急車を呼ぶという騒ぎがあった。突然鼻血がぼとぼとと落ちタオル3枚使っても止まらなかったらしい。私はあとから知らされた。
 心配なので、まず実家へいった。
 父は思ったよりは普通だったので、安心した。しかし、台所まわりに落とし切れていない鼻血の汚れが残っていた……

 C施設の面会は、たったの10分と決められている。
 たった10分なので、遅刻はできない。早めに実家を出た。

 事前に父に電話があり、母がご飯をあまり食べないので、差し入れが許された。C施設は通常差し入れ禁止なのだ。
 私は家から実家までの乗り換え駅のお店で、普段よりお高いシュークリームを買い持参した。母は甘いものが大好物だから。 
 地元であるが少し迷いながら住宅街を歩いて行き、C施設の敷地に入ると、エントランスのガラスの向こうに相談員Sさんが待ち構えていた。
 予約は2:00だが、今はその10分ほど前である。
 靴からスリッパに履き替え、手を消毒し、体温を測る。受付で記入する。
 Sさんに、母の様子を聞く。
 5分前くらいになり、「行きましょう」と言われ、Sさんに付き添われエレベーターに乗り込む。

 2階に着き、エレベーターの扉が開くと、車椅子の母が看護師さんに付き添われ待機していた。
「お母さん」
 母は私を見上げて、表情を少し変える。
 ああ、やっと会えたね。

 母の背後のフロアには大勢の車椅子の老人達が居るのが見える。2階の定員は60名といっていたな。

 看護師さんに車椅子を押され、私もそれに付き添いながら、長い廊下の先へと進む。突き当りに、テーブルと椅子が用意されていた。窓はあるが、薄暗い。感染対策なのはわかるが、面会は明るい場所がふさわしいのではと思ってしまう。母の目がどのくらい見えているのか疑問だし、私も最近暗いと見えづらいのだ。気分も暗くなりそうで……

 Sさんの許可のもと、シュークリームを箱から取り出す。
 栄養士さんだろうか? 差し入れを確認にきて、お茶とおしぼりを持ってきてくれる。
 母はシュークリームをぎこちない感じで掴み、まあまあ勢いよく食べ始めた。ああ、よかった。
「おいしい?」
「うん」
 しかし、だんだんとペースが落ち、半分のところで「もういい」と言うではないか。信じられない。あんなに甘いものが好きだったのに。パクパク食べていたのに……
 雑談をしながら、何度もすすめてみるが「もういい」を繰り返す。最近水分をとらないのが心配なので、お茶も何度もすすめるが、あまり飲まない。
 内心、とても悲しかった。
 だけど、短い時間だから、明るくふるまい、なるべく母の心をほぐしたい、脳に刺激を与えたい、その一心だった。

 母の手がシュークリームから離れてから、私はずっと母の手を握る。体温を感じてほしい。

 妹がインドへ行ったこと。
 父の鼻血がとまらなくて、救急車で運ばれたこと。鼻の奥の傷を焼いて、出血をとめたことなどを話す。
 母は聞いている。反応はある。お喋りだった以前の母だったら、きっと私の何倍も言葉を返してきたことだろう。今はぽつり、ぽつりという感じで相槌を打つ感じだ。
 いつの間にか、Sさん、看護師さん、栄養士?さん、皆さん席を外していた。
 が、持ち時間はあっという間に過ぎてしまう。廊下の向こうから看護師さんが足早にやってくるのが見える。おしまいということだろう。

 看護師さんが母の車椅子を押し、私達は長い廊下を戻っていく。両側は入居者の部屋が続く。
 母のいる四人部屋が見たくて、看護師さんに尋ねると、エレベーターの横がそうだった。さっとだが、室内を見せてもらう。予想よりは広く、ベッドとベッドは離れている。母の持ち物は、今、目覚まし時計と、家族写真の写真立てだけだ。倒れていたので、それを立てて直す。
 認知症の場合、家で使っているものや写真を枕元に置くといいとA病院、B病院では言われていた。しかし、ここ、C施設は、初め荷物は一つもいらないと言ってきた。だけど、私が目覚まし時計と家族写真だけはと、お願いしたのだ。
 その部屋は壁の一部が出入りできるようになっており、隣は看護師さんたちのお部屋だとわかる。つまり、呼ばれたらすぐ来れるようになっている部屋だった。確かに少し安心できる。

 エレベーター前が別れの場所だ。
 車椅子の母に見送られながら、私はエレベーターの箱の中に入る。マスクをしたままなのが、もどかしい。頑張って笑顔になって、大きく手を振る。母はじっと私を見つめている。表情の乏しくなった母だけど、それでも、名残惜しそうな、悲しそうな顔をしているのがわかる。
「また来るね」
 扉は自動で閉まっていく。私は体を斜めにして少しでも長く母に見えるようにしたつもりだ。

※母の入院の経緯
 7月 8日 A病院にて股関節手術 その際に骨折 
 7月26日 Bリハビリ専門病院へ転院 その夜、おむつ交換時に脱臼
 7月27日 手術したA病院へ救急車で戻される
 8月 1日 足に装具がつく(三ヶ月外せないと言われる)
 8月30日 Bリハビリ病院へ転院
10月24日 C施設(老健)へ転院

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