見出し画像

「なんでもできる」人はスーパーマンか中途半端

完璧主義に苦しんだ私自身と、わけのわからんまま教育を強いられる子供達へ。

「なんでもできる」人はスーパーマンか中途半端。だとしたら。
この世にはスーパーマンなんて要りません。なぜならスーパーマンは助けられることを知らない人生を送るから。助けるだけの人生じゃ感謝の涙なんて一生流せない。結局人間は、一人分の人生しか歩んできていないんだから助け合えばいい。誰にでもできることを一人で網羅する必要なんて本当はないんです。
学校に例えれば国語・算数・理科・社会を全てを極める必要なんてない。
日常生活を最低限送れる知恵だけ身につけたらあとは「全て極めなさい」じゃなくて「何に夢中になれるか探しなさい」であってほしい。それでこそ「自分」が見えてきて社会に出た時に「自分にできること」を迷わずできる。

人間は一人なんだから一つ極めればそれだけで充分に素敵なんだよ。誰でもできることをみんなで極めたところで競争は生まれても助け合いは生まれないんだよ。

本当に価値があるのは自分の経験や自分の意見。そして自分が選んでインストールした知識たち。他人からもらった言葉やネットで拾える知識は放っておけば自分のものにはならない。でもそれを自分の価値観で取捨選択し、気づきを経て腑に落として自分の血肉に変わる。そして「その知識を持った自分」になる。自分の興味に正直に生きて、この世の中を生きるための知識を自分なりに吸収する。これが結果的に自分というブランドを創る。これを偏見を創るという言い方もできてしまうけど幸せならそれでもいい。一般的なマニュアルではなし得ない、自分にしかない創作物。これほど深くおもしろいものはないという話がしたいだけです。皮肉にも学校教育が目指すこととは相反して、成績という洗脳と呪縛から解放され、勉強は壊滅的でも一つのことに夢中になっているだけの人こそが不思議と変に努力しなくても誰かのためになっている。それがたとえ不気味な趣味でもいい、気持ち悪がられることでもいい、Adoさんの歌みたいに破壊的でもいい。

「なんでも屋さん」に頼みごとをするとき、できることが多いのは範囲的には網羅できていても深さは期待できない。と思うのは私だけでしょうか。
オリジナリティに価値があるから、マネタイズするために。。と言って無理に一つのことを極めるのも違う。お金に目が眩んで自分の経験にないことまで無理に知識で埋めたり知ったかぶったりする必要はもちろんない。
「何もできないけどこれだけは好き」が寄せ集まってはじめて最高の世の中になるのではないでしょうか。
全部できて当たり前とか、あれもこれもできないとか、そんな声で落ち込むな。そんな洗脳まがいのご都合主義に耳を傾けるな。と未来を生きる子供達に言いたい。第二の人生を生きる自分の過去に対しても。


できることがたくさんある人よりも、一つのことしかできない人の方が好きだ。その一つのことをやっている時だけはイキイキとしてる。頑張っていない。夢中になっているから我慢やストレスという重みを纏わず軽やかに輝く。これだけたくさんの人間が同世代に生まれて共存しているということは、誰かが一つ一個だけ追求して楽しんでいれば、そのピースが集まって一枚の絵になるってことでしょ?それでいいでしょ?妥協で言ってるんじゃない。これが最高なんだと思うの。

電気工事なら田中さん、家を建てるなら鈴木さん、料理するなら山田さん、
これでいうなら私は「気づきを経ながら身につけてきた鎧を脱いで心の原点回帰を促し人生の重みを取り外すお手伝いをする人」です。長いな。笑

いいなと思ったら応援しよう!