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自己卑下しないで

【過去】 他人との比較

過去の自分は
誰といても卑屈になっていた

自信がないから
誰かのとなりに並んで存在することすら苦痛

競争も大嫌いだった
負けるに決まってるから

同じスタートを切ったのに
なぜかぐんぐん追い抜かれる


どうせ
才能の差なんだろうなぁ
意欲の差なんだろうなぁ 

努力じゃなくて才能がそなわっていたんだろう
援助してくれる人がいるんだろう

なんて
人生におけるハンディキャップがあると
勝手に決めつけていた

そんな自分がそう思わなくなった
どう変わったのかを書きます

【黒歴史】 自己卑下エピソード

他人と比べて自分を卑下していた過去の中に
忘れられない思い出がある

大学時代に自分を「親友」と呼んでくれる貴重な友人Mがいた

Mは体育会系思考でビジュアルは抜群 

一軍と呼ばれるリア充グループの
一番人気の人と交際し
性格もさっぱりしてて
交際相手がいても周りからモテる
それに加えて根性・忍耐力・頭脳がそろっていた
自分はそんな優れた設定には及ばなかった

「そんな優れたMが、どうして自分なんかに惹かれているんだろう?」

だって自分なんて
何も頑張っていないのに


親の期待を裏切らないように我慢して大学に通い
成績や外ヅラだけ優等生であることが唯一のステータスだった

ある日
Mと互いの将来を語り合っていたときのこと
「エルは勉強できるのにバカになれる 
 そこを尊敬してる 
 まじめで優秀な人間ならたくさんいるけど 
 ちゃんとバカができるのは素敵なことだ(爆)」

褒めてるのかけなしてるのか 笑
しかしMは大まじめだった
まっすぐに目を見て何度も真剣に褒めてくれた

その本気が心の底から嬉しかった
そんな友人に対して

ただただ、
Mのとなりにいる自分が小さく弱く幼く感じた


それがいつか苦しみに変わり
大学中退後、社会人として交流するなかで
社会に上手に馴染んでいくMといることで生まれる自己卑下が増大した

その自己否定と卑屈な思いが
会話に混ざるようになりMを傷つけた

「Mはいいよね、根性あるもん」
「Mはいいよね、自分なんてヘタレだし」
こんな言葉を日常的に投げてしまっていた

なんでそんな風にいうの?
自分とエルは違う人間なんだよ!?
比べるのはやめてよ
エルは素敵だって思うのに、それまで否定しないでよ!

と本音を言ってくれたのは社会人になってからだった
ずっと我慢させていたんだな
Mへの思いやりも表面的にしか表すことができず
ついに自分から関係を絶ってしまった

Mは何も悪くなかったのに…
とても貴重な人を失ってしまった

ただ自分が
ただただ自分のMを見る目が腐っていた

そう気づいたのは40歳になってからだった

【気づき】 才能の初期設定

そんな自分がなぜ40歳になって変わったのか
それはある1つの考え方に出会ったからだ

誰もズルをしたり段飛ばしや近道なんてしていない
誰もが地道な努力をこなしてきている

というのも•••

仏教でいわれる輪廻転生という概念から生まれた自論なんですが

前世で積み上げた
経験、覚えた感情、努力、学習した知識、経験で得た知恵、人徳は

記憶したまま生まれ変わる

前世で何かを極めようと頑張った人は
今世でアドバンテージをもってスタートを切れるという考え方

全ての人の輝きは
偶然ではない

一見、天才に見える彼らの力は

その人なりに何百年も鍛錬してきた
素晴らしい姿なんだ
素直に褒め称えようではないかと

そりゃ
何十年も鍛錬している人に
今世始めたばかりの自分が勝負を挑んでも
勝てるはずがないのだ

そういう魅力は自分にだってあるはずなんだ

他人と比較して卑下することが
シンプルに時間の無駄なのだ

【変革】 じゃあ何が必要なのか

だったら自分にはどんな積み重ねがあるんだろう


ここの探求に時間を使うべきなんだ
人を羨んでる時間なんてないんだ
批判する時間なんてもっと必要ない

ただ、自分にとって
他人と比較することをやめるための
斬新な発想であることは間違いなかった

自分がとことん悩んだから
藁にもすがる思いだったからか

この考え方を評価したり
批判する暇もなかったのだ

ただ救われて
楽になった自分がいます
人を羨んで批判することもなくなりました

表面的ではなく
心の底から視点が変わり
世界が変わりました 

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