自己卑下しないで
【過去】他人と自分を比べていたあの頃
昔の私はどこにいても自分が小さく見えてしまって、周りと自分を比べるばかりでした。自信がないから人と並んでいるだけで苦しくて、競争なんて大嫌い。負けるに決まってると思い込んでいました。同じスタートを切ったはずなのに、気づけば周りの人にどんどん追い抜かれていく。
「どうせ才能の差でしょ」「あの人には援助してくれる人がいるんだろうな」
そんなふうに、人生のハンディキャップを勝手に作り上げて、自分の立ち位置を納得させていました。
でも、そんな自分が今ではその考え方を手放せたんです。どうして変わったのか、その理由をお話ししますね。
【黒歴史】自己卑下にとらわれたエピソード
自分を卑下してばかりの私には、忘れられない思い出があります。
大学時代、「親友」と呼んでくれる貴重な友人、Mがいました。Mは本当にすごい人で、見た目も性格も完璧。交際相手がいても周りからモテるし、努力家で頭もいい。そんなMが、どうして私なんかと友達でいてくれるんだろう?っていつも疑問でした。
私はと言えば、親の期待に応えるためだけに大学に通い、成績や表面上の優等生っぷりを取り繕うことが唯一の「自分の価値」。Mと比べるたびに、自分が小さく見えるのが苦しくてたまりませんでした。
ある日、Mと将来の話をしていたとき、Mがこう言ってくれたんです。
「エルは勉強もできるのに、ちゃんとバカになれるところがすごいと思うよ。真面目で優秀な人なんていっぱいいるけど、ちゃんとバカができるのって素敵なことだよ!」
正直、それって褒められてるの?と思いましたが、Mは真剣でした。まっすぐな目で「エルのそんなところを尊敬してる」と言ってくれて。あの時のMの本気の気持ちは、今でも心に残っています。
でも、そんな素晴らしい友人を、私は自分の卑屈さで傷つけてしまいました。
「Mはいいよね。根性あるもん」「Mは自分とは違って…」そんな言葉を何度も繰り返して。
とうとうMに「比べるのはやめてよ!エルは素敵な人だと思うから、否定しないでほしい!」と怒られました。それでも、私自身が変わることができず、関係を絶ってしまいました。
Mには何の非もありません。ただ、私の目が曇っていただけ。それに気づいたのは40歳を過ぎた頃でした。
【気づき】才能って、初期設定みたいなもの
40歳を過ぎて、私は1つの考え方に出会いました。
「誰もが地道な努力を重ねてきている」という考え方。そしてその努力は、仏教で言われる「輪廻転生」の中で積み上げてきたものだとする説です。
前世で頑張って何かを極めようとした人は、今世でアドバンテージを持ってスタートできる。この考え方を知ったとき、「天才」って思える人たちも、実は何百年もかけてその力を鍛え上げてきたんだと思えるようになりました。
だから、今の自分が彼らに追いつけないのは当たり前。今世を始めたばかりの自分が、何十年も鍛錬してきた人に勝てるはずがない。それでいいんだって思えるようになったんです。
【変化後】他人と比べない生き方
他人を羨んだり批判する時間なんて、本当に無駄。自分にできることを探し、自分の魅力を育てることに時間を使うべきだって気づきました。
この考え方に出会ったとき、藁にもすがる思いでした。そんな心境だったからこそ、この発想に救われたのだと思います。今では、表面的ではなく、本当に心の底から世界の見え方が変わりました。
他人と比べるのではなく、ただ自分を大切にして、自分のペースで歩んでいけばいい。そう思えるようになりました。