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選挙コンサルという名の選挙の破壊者

怒っているので、客観性に欠ける部分があることを最初にお詫びしておく。
私はこれまでのnoteに書いたとおり、斎藤元彦氏は知事にしてはいけない人だと考えている。
しかし、選挙後にわかに騒がれ始めたSNSコンサルの問題は、私がnote:なぜ、知事にふさわしくないと思ったのだろう…に書いた内容とは全く違う観点から、民主主義、そして地方自治に関する危険性を感じている。


無邪気な選挙コンサル

私が選挙直後に書いた別のnote:兵庫県知事選 なぜこんなことに…の中でも指摘したSNS等ネット戦略だが、実際にそれを、「全面的に請け負った」と称する人が無邪気な顔で現れた。
「折田楓」というこの女性は、そのことをまるで「売れなかった商品を私たちの戦略でヒット商品に変えました!」というような、マーケティング成功事例として自らのnoteにあげ、その他動画等でも誇らしく語っていた。
もし、それらの内容がそのまま事実であるとすれば、間違いなく公職選挙法違反の自白である。
ネット上は結構な騒ぎになり、これで斎藤知事も連座制で失職か!などという分析もある。
そうであれば、斎藤氏を知事にしてはいけないと思っている私にとって喜ばしいことである。
しかし、私は怒っている。
今回の事件で私が怒っているのは、選挙コンサルという名の選挙ゴロに対してと、新しいタイプの選挙コンサルが、キラキラしながら無邪気に顔を出したその背景だ。

私は選挙コンサルが嫌いだ

そもそも私は、選挙コンサルなる人たちが嫌いだ。
いくつかの選挙に直接携わってきたが、選挙コンサルにお願いしたことなどない。
まあ、選挙コンサル側から言えば、地方議会議員の選挙や比較的小さな街の首長選挙など、お金にもならなければ、そもそも歯牙にもかけないのだろう。

公職選挙法は、民主主義の根幹の一つである「選挙」を公平公正かつ透明に進めるための法律である。
そのために不正行為を防止し、過剰な競争を抑制し、選挙の秩序を維持し、公平な情報提供し、国民の負担を軽減するための多くの決まりがある。
公選法自体、大変わかりにくい法律で批判も多く、「何でもできるが何にもできない」法律だという評価を聞いたこともある。
この様に、法律の中身自体は評価が分かれるかもしれないが、その立法精神自体に間違いはないだろう。
私は、代価を受け取り、公選法をかいくぐりながら選挙の指南や事実上の選挙運動を行っている選挙コンサルは、公選法の立法精神に反し脱法的存在だと思っている。いや、違法ではないかとも思っている。
しかし、実際選挙コンサルなる人たちは存在するし、選挙コンサルが入った選挙が多いことも知っている。また、実際選挙コンサルなる人と会ったこともある。
選挙コンサルとは実際どういう人たちなのだろうか。

様々な選挙コンサル

選挙コンサルにもいろいろな形がある。
単に選挙のノウハウのみを候補者を特定せず提供するコンサルもいれば、一人の候補者の選対に入ってその選挙自体の差配をするコンサルもいる。
様々な形の選挙コンサルが存在するが、ここで私が「選挙ゴロ」等と批判している選挙コンサルとは「一人の候補者陣営から金銭を得て、その候補者の当選を目的として、選挙運動及び選挙実務に深く携わる」タイプである。
このタイプのコンサルは、その目的が単純明快であることから、違法でなければ脱法的であろうが当選のためにあらゆる手段を用いる。
倫理やモラルの基準は「有権者からどう見えるか」が主軸になってくる場合が多い。
優秀なコンサルと言われる人であればあるほど、有権者をある意味、だましてでもその候補者への投票行動につながる手段を講じる。
しかもそのようなコンサルに対するコンサル料は高い。
選挙資金が豊富ではない候補者には雇うことができない。
また、無能なコンサルは単なる詐欺師である。
選挙コンサルがどんなきれいごとを言おうが、わたしは、選挙を飯の種にしているコンサルを、民主主義における選挙のあるべき姿からかけ離れた存在だと考えている。

社会から認知され、新規参入も…

その様な選挙コンサル、一部では選挙プランナーともいうが、ドラマになったり、マスコミで取り上げられるなど、社会に一定の職業として認められつつあるらしい。
しかし重ねて言うが、私は選挙コンサルが嫌いである。
民主主義の敵であるとも思っている。
一方で、そんな選挙コンサルに新規参入が相次いでいることは知っていた。
その様な状況下で今回の事件である。
本当に…ここまで来たか…と驚かされると共に、これは私の好き嫌いといった感情論を飛び越え、「これが許されるなら、選挙自体が商業主義に飲み込まれてしまう。」「本当に何か基準を設けないと、民主主義は、そして地方自治は大変なことになるかもしれない」等という危機感が生じた。

問題の始まり

これが今回の騒動の始まりのnoteである。
兵庫県知事選挙における戦略的広報:「#さいとう元知事がんばれ」を「#さいとう元彦知事がんばれ」に 折田 楓
初期のものがいわゆるWEB魚拓として残っていたので、もしご覧になっていない方がいたら是非ご覧いただきたい。
よくある、マーケッティングの成功事例をつづった内容に見える。
自社の宣伝をするために、このような成功事例をWEB上に上げることはよく見られる行為だ。
違和感は全くない…もしこれが選挙でなければ…
しかしこれは選挙に関する内容である。
もし、この中に書いてある内容が事実だったとすれば、それは公職選挙法違反行為の自白となってしまう。
今回の件については、総務省発行インターネット選挙運動解禁ガイドラインの40P以降「第4その他」をご覧いただきたい。
しかも、彼女の自白はこのnoteのみではない。
彼女の名前で検索すれば、このnoteに書かれた内容を補強する、いろんな情報が出てくる。
なぜ彼女このような「自白」を堂々とnoteに記したりしたのだろうか。

なぜこのようのことを

まず彼女に、このようなことに対する違法性の認識が全くなかったであろうことは容易に想像できる。
今は消されているが、彼女の会社のHPには、兵庫県をはじめとした自治体に関するブランディング事業やマーケッティング等々、多様な事業にかかわってきたことが書かれていた。
また、兵庫県の地域創生戦略委員も務めている。
彼女は若くして各種事業にそれなりの実績があり、いわゆる「才媛」との評価を受ける部類の女性なのだろう。
その様な女性がなぜ…
ネット上ではいろんな評価をされているようだが、私が思ったのは、選挙の商業主義が「ついにここまで来たか…」という事だった。

普通のマーケティング会社が、選挙をそれ以外と同じような「商材」として感じ、それに違和感を持たない社会。
まさに、民主主義の商業化である。

もし、選挙コンサルの良し悪しによって少しでも世論を操作できるとしたら…
僅差の選挙はコンサルの良し悪しで結果が変わることになる。

そして、選挙コンサルの存在がこのままなし崩し的に認められるようなことになるのなら…
「お金」というリソースを多く持つ候補者がますます有利になり、一方でお金をもたない候補者はますます不利になる。

その結果、どのような社会になっていくのだろうか…

私の思い

今回の問題は、選挙の公平公正透明性にビジネスがどのような影響を与えうるかという観点からも、非常に重要な問題提起である。
特に、これまでグレーとされてきた選挙コンサルなる人たちを、積極的に使ってきた比較的大きな選挙の候補者たちには、この問題を真剣に受け止めていただきたい。
そして、選挙コンサルを含め、選挙にビジネスがどこまで関与できるのかを議論する事なく、制度設計をしないまま放置してきた国会や官庁には、あなた方がこの問題を引き起こした大きな原因であるという実感を持っていただきたい。

今回の公職選挙法違反疑惑は、民主主義の根幹にもかかわる問題である。
容疑者を逮捕しなくてもいい、在宅起訴でもいい、いや、無罪だってかまわない。
検察はきっちり起訴したうえで、単なる容疑に対しての判断を求めるのではなく、公職選挙法の精神に則って、選挙にビジネスがどこまで関与できるのかの司法判断を求めなければならないと考える。
そして司法も逃げることなくきっちりとした基準を示すべきだと考える。

そのうえで、私の嫌いな選挙コンサルなるものが一掃できるような司法判断が出れば、私個人として喜ばしい限りだ。

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