日常のルーティン化が嫌い
小学生の頃、集団登校が基本だった。毎朝同じ場所に集まり、同じ道を歩き同じ景色を見て、同じナンバーの車が横を通る。ああ、気が狂いそうだ。世界がプログラミングされたNPCに見える。哲学的ゾンビだ。
ある冬の日、車に撥ねられたのだろう、イタチの死骸が通学路に転がっていた。腹は裂け内臓が飛び散り、周りの土が心なしか紅かった。体から出ている内臓は焼肉屋でみるホルモンのそれとは全く違うグロテクスさだった。カラスが腸と思しき部位を啄んでいたのを鮮明に覚えている。
ルーティン化された日常にイレギュラーが起こり、僕は内心嬉しかった。ただイタチの死骸を前にそれを顔に出すのは憚られる。
イタチの死骸は次の日もあった。誰も処理しないのだろう。その次の日もあった。もうイタチの死骸はイレギュラーじゃない。毎日見る同じ景色の一部だ。毎日似たようなカラスが啄んでいるのも同じ。
2週間ほどしたことだろう。イタチの死骸は消えていた。誰か捨てたのかカラスが完食したのかはわからない。最初の3日で僕の興味はイタチに向かなくなっていたので途中経過を知らない。
僕が学校を嫌いな理由の1つに、日常を固定される恐怖がある。実際される。ルーティンは嫌いだ。
ただ、僕はルーティンが好きな一面もあるらしい。
朝起きて、朝食を摂り、歯を磨き、顔を洗い、着替え、家を出る。この流れは小学生から始まり高校生の今まで変わらない。この流れを何かの事情で崩されるのを異常に嫌がる。小学生3年生ぐらいの頃だ。母親に、朝食の準備が遅くなるから先に着替えて。と言われたことがある。弟はすぐに着替えたが、僕は断固として食卓から離れなかった。結果として食後に大急ぎで全てを順番通りに済ませた。
何回か崩れたこともある。ただそうなるとイライラが抑えられなくなり何もしたくなくなる。登校も拒否する。
僕はこのルーティン好きはイレギュラーを起こすための言い訳なんじゃないかと思っている。朝の順番が違うから学校を休みたい。そんな理由が通るわけがない。でも母親にそれを意見する。当然怒られるだけだ。そして説教により集団登校の時間をすぎて結局親の車で学校に送られる。普段と比べればだいぶイレギュラーだ。
余談だが、サムネイルの画像を探す時にnote内の画像検索で「田園」と打ったらマジの地元が出てきたのでその写真を使っている。地元を遠景で撮った写真ではあるが。