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真夜中のサッポロ一番塩ラーメン

昨日、創作大賞2022に応募するため、改めて家族の話を書きました。

今までの人生のつらかったことも楽しかったことも、できれば全部無駄にしたくなくて。

形となって、目にしてくれた方の胸に届くものがあったらいいなという思いで、本やドラマになることがずーっと夢なんです。

今回のエピソードは、昨日の記事を闇とすると、そんな闇の中にもぽつんぽつんとあった、光の部分のお話です。



まだまだ子供だった中学生の頃、数ヶ月に1度、電車で1時間半ほどの母方の祖父母の家に泊まりで遊びに行っていた。

ほんのちょっとだけ裕福だった祖父母は、いつもたっくさんのお菓子、ジュース、夕飯はすき焼き、焼肉などを用意して待っていてくれたし、一緒にデパートに行っては欲しいものも買ってくれた。


祖母はたまに、遠慮なく強引に人の心に土足で踏み込んでくるところがあったので、胸がキュッとなるような場面もあった。

反対に、寡黙で、それでいてちゃんと一人の人間として私のことも尊重してくれているように感じる祖父との時間は、温かく心地よかった。


夕飯を食べてお風呂も済ませて、母、弟、祖母が寝た後、祖父と二人で過ごす真夜中が特に好きだった。

祖父が換気扇の下でタバコを吸っている間、私も隣でいろんなことを話した。

主語述語のない、ただの勢いだけで楽しそうに話す私の話を、祖父は煙をくゆらせながらただうんうんとうなずいて聴いてくれた。


ポマードで仕上げられた典型的なぴっちり七三分け。すらっとしていて少し植木等似。夜は決まって白いインナーシャツにステテコ姿。毎日安い1Lパックの日本酒を飲み、スーパーのお刺身を少し食べる。私たちが遊びに来ているときだけ、同じ夕飯を食べてくれる。決して無駄遣いはしない。普段は物静か、酔ったときだけ陽気になってよくしゃべる。趣味は読書と水泳。


そんな祖父が作ってくれる真夜中のサッポロ一番塩ラーメンが、とてもおいしかったんです。

祖父が作るサッポロ一番塩ラーメンは、汁なしでした。麺を茹でたあと茹で汁は全部捨てて、お皿に麺を出し、スープの素を混ぜ、最後にふりかけをかけたら完成です。

汁なしのラーメンを初めて見たとき、「え!そんなことしていいの!反則じゃない!?」と、すごくびっくりして、まるで悪いことをしているような気分になったのを覚えています。

夜な夜なこっそり食べる夜食に、大人になった今ではあれはいわゆる背徳感ってやつだったんだな、とわかるけど、当時はただただわくわくしました。


祖父は、箸の持ち方がバッテン箸だったり、朝ごはんを食べ終わったお茶碗に熱いお茶を注いで、ついた汚れをぜーんぶ漬け物でこそいでそれを飲み干したりするような人でもあったので、その少し変わった一面が、私にはとても魅力的に見えたんです。どちらも真似はしませんでしたが。

私の変わり者の血は、きっと母方の祖父から受け継いだんだろうなと思うことがあります。


一人暮らしを始めたある日、ふとあの夜のことを思い出して初めて自分で作ったときは、加減がわからずスープの素を全部入れました。そしたらとてつもなく塩っ辛くて食べられなくて、結局お湯を入れて普通に食べたという少々ビターな思い出もあります。

先日また久しぶりに思い出して食べたくなって、サッポロ一番塩ラーメンを買いました。もちろん、祖父の食べ方で食べます。

久しぶりに作ったら、お湯を切りすぎてスープの粉を入れる前に麺がひとかたまりになっちゃって。数歩先のキッチンに行くのも面倒で、飲んでいたウーロン茶を入れてほぐす。横着の塊が麺の塊をほぐす。

こういうところが、きっと祖父から受け継いだ変な部分なんだと思っています笑


少しお茶の香りがするけど、うん、無問題。大丈夫。

おいしい。

でも、あの頃の真夜中のサッポロ一番塩ラーメンには敵わない気がするな。思い出補正かな。

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