「スキ」はメッセージ、「コメント」は電話のようなもの。
「スキ」は、自分の好きなタイミングでお返ししてもいいし、見るだけでもいい。
それに比べてコメントは、返信しないと返信しない側が悪いみたいな、そんな空気感を感じてしまう。
いつも、コメントの通知を見た瞬間の私のリアルな内情は、嬉しいと焦燥感が1:9くらいの割合。
正直、一瞬ピリッと緊張感が走る。
中身を読んでその割合が変化することもあるけど、返信に困るときなんかは嬉しいの割合がもっとちっちゃくなる。
気持ちよくすぐに返せるコメントには時間はかからないけど、複雑な心境で返信を考えている時間は楽しくはないし虚しい。
だからコメントには、電話と同じくらい相手の時間を奪う拘束力があると思う。
私は、電話も必要最低限にしたいし、てか基本的に出ないし、いきなりビデオ通話なんてかかってきたら心臓に悪すぎる。
ここ何ヶ月間か、この辺りのことでずっと心がざらついている。
ここまで読んで、嫌ならnoteやるなよなんて思った人がいたとするならそれは、「電話出ないならスマホ持つなよ」と同じくらい理不尽なことだと思ってほしい。
私は、変に真面目で狭量ぎみで、少し神経質なところがあると自分で自覚している。
自分だけがこんな気持ちになるのかなとnote内で「コメント」について検索してみた。他の人がどう思っているのか気になった。
そしたらやっぱり大半の人はコメントはうれしいと思う人ばかり。
その中でも救いだったのは、全ての人がコメントされるのが好きだと思わないでほしいと言った内容の記事だった。
100人に1人くらいの割合だったけど、私と近しい気持ちの人がいると思ったら少しほっとした。
わかってほしいのは、コメントのやりとりが得意じゃない1%の人間もいるということ。
たった1、2往復のやりとりで人間関係が作れるとは、今の私には思えない。
例えば、
「今日、お出かけ中に突然雨が降ってきて、傘持ってなかったから大変だった」
という内容の記事があったとする。
これに対して、
「お出かけ、どこに行ったんですかー?」とか、「うちの地域でも雨が降りました!」なんかは、よくコメント欄で目にする光景だ。
でも、この人が本当に言いたいのは「大変だった!」ということだから、それ以外に反応されるとわかってもらえていないようなもやもやを感じてるはず。
私はこういうズレに、人一倍耐性がないのかもしれない。すごく切ない思いでいっぱいになる。
質問されたことに一生懸命答えても、それに対して「スキ」だけで特に返事がないのはなんなんだろうと思うときもある。
何のための質問だったの?向き合ったこの時間はなんだったの?
肩透かしを食らった気分になるし、悔しさみたいなものが込み上げてくる。
そもそも、その質問もさ……なんて黒い私が出てくるときもある。
そんなのを数時間引きずったりして、心の健康にも全然よくない。
みんなはそれでも楽しそうにやっている、私にはうまくできない。
そういうのが少しつらくなって、今年に入ってからは他の人の記事を読むことを控えるようになり、スキやコメントもほとんどしなくなった。
そろそろ1年経つけど、変化の糸口は今のところ見当たらない。
書きたくない、書けない日もある。今日は書くのやめよう一旦休憩しよう、そう思うこともある。
それでも書き続けていたい思いが少しでも残っているから、続けることの意味を信じて、くだらないことも書き続けて、書き続けてる。
あるときふとしたことがきっかけで、好転していくかもしれない。
もがきながら、今にも消えそうな火をなんとかかんとか盛り立てて、毎日向き合っている。
それを外からの風に消されそうになっていてはもうどうしようもない。
コミュニケーションは、もう少し火が安定してからにしよう。
今はコメントに返信はしないと決めてしまおう。
今まで関わってくれた人の中で、「ごめんなさい!」ってもし思うことがあったとしても、コメントはしないで大丈夫です。心の中だけに留めておいてください。
「ごめん!」とコメントされても、「いいよ」としか答えようがないので。
ずーっと内側にドロドロと溜まっていたものが少し形になったので、拙いながら書き出してみた。
もし同じようにコメントやコミュニケーションについてもやもやとした気持ちの人がいたとして。
検索したりおすすめで見かけたりして、たまたまこの記事にたどり着いて、私がさっき感じたみたいに少しほっとしてもらえていたとしたら。
すごくうれしい。