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イマジナリーおじさん

みなさんの中に、子供の頃「自分にしか見えない友達がいた」という人はいるだろうか。
ここまで読んだだけで「いた」という人もいるだろうし、「え?」と思う人もいるだろう。
いなかったという人も、もしかすると忘れているだけでひょっとしたらいたかもしれない。


そういう存在のことをイマジナリーフレンドというらしい。

イマジナリーフレンド: imaginary friend)とは、心理学精神医学における現象名の1つである。学術的にはイマジナリーコンパニオン(IC)という名称が用いられる。「想像上の仲間」や「空想の遊び友達」などと訳されることは多いが定訳はない[1]。インターネット上ではIFと略されることもある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


わたしがイマジナリーフレンドという言葉を知ったのは、ちょうど1年半くらい前のことだ。
わたしは双極性障害をもっているため精神科に通っている。
5年前に大きな鬱期がきて以降、症状は安定しているが厄介なことに度々やってくる離人症に悩まされている。
離人症もわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないと思う。
ひとことで説明すると、自分が自分ではないような感覚が長く続く症状のことである。

離人症(りじんしょう、: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。罹患者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その重きや実感を失ったと感じる。慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IVの離人症性障害)[1]。治療法については、「解離性障害#治療」を参照。

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1年半前のある日、あまりに離人症がひどくて生活に支障をきたすようになってきたため、予約を早めて精神科に駆け込んだ。
何度も離人症に悩まされているが、精神科の先生は特に薬を増やすこともなく話を聞いてくれるだけだ。
その日もいつも通りわたしの話を聞いてくれた先生が、椅子から立ち上がって帰ろうとしたわたしにこう言った。

「スーさんって、子供の頃に自分にしか見えない友達っていました?」

わたしはこう答えた。

「いました。 え、なんで?」

先生はこう言った。

「精神的な疾患がある人は子供の頃に自分にしか見えない友達を持っていることが多いんですよね、全員ではないですけどね」

その後、自分でもちょっとびっくりするくらい大きい声が出てしまった。

「え!! あれって…みんないるんじゃないんですか!?」




会計を済ませたあと、駐車場の車の中ですぐに
『自分にしか見えない友達』
と検索してイマジナリーフレンドという言葉にたどり着いた。


調べるうちに誰しもがイマジナリーフレンドがいるわけではないことを知って、わたしは焦っていた。
口にしないだけでみんな誰しもが『自分にしか見えない友達』がいるものだとばかり思っていたわたしは、当たり前のようにイマジナリーフレンドについて周囲の人に話していたからだ。
子供の頃に友達に話をしていた程度ならまだいい。
大人になってからも、何ならその当時の職場の人にも普通に話していた。
そりゃ驚かれるし、何それ!? ってなるし、変な人だと思われて当然。


だって
「小さい頃に15cmくらいのおじさんがいつも近くにいた」
とか言っちゃってるんだもの。


そう、わたしのイマジナリーフレンドはフレンドというよりおじさんだった。
叔父とかそういうおじさんではなく、普通のおじさん。
子供の頃はおじさんと思っていたけれど、ひょっとすると20代とか30代とか、意外と若かったのかもしれない。


サイズ的には15cmくらいだったと記憶しているが、顔や服装は思い出せない。
男性であったことは確実だ。
特に名乗られることもなかったので、わたしは「おじさん」と名前をつけた。
会話をするときも「おじさん」と呼んでいたが、「おじさんとか言うなよ〜」とか「そんな歳じゃないんだけど〜」とか言い返してくることもなかった。


子供の頃、身体が弱くたびたび熱を出すことが多かったのだが、熱を出すたびに離人感に苛まれた。
当時、離人感などという言葉や概念を知らなかった小学生のわたしは、その離人状態を「乗っ取られている」と感じていたのだが、おじさんが最初に現れたのは乗っ取られている最中だったと記憶している。
ある日、高熱を出して寝込んでいるわたしの枕元におじさんがやってきた。
うなされて夢を見ていたのだと思っていたのに、元気になってもおじさんはたびたびわたしの前に現れた。
最初は妖精か小人ような何かだと思って見て見ぬふりをしていた。
でもあまりにも頻繁に現れるので思い切って話しかけてみたところ普通に会話が成り立った。


おじさんはわたしにとって友達というよりも、今時の言葉で表現するのならメンターのような存在だった。
ASDで友達が全然いなかったわたしは困ったことがあったり、悲しかったり、誰かに聞いてほしい出来事を全部おじさんに話した。
道に迷ってパニックになっていると、おじさんが「右に行ってみたらどうかな?」とか、友達がいなくて寂しがっていると「僕がいるから大丈夫だよ」とか。
特にパニックになっているときに「こうしてみたらどう?」とか「落ち着けば何とかなるよ」とかアドバイスをくれたり、気持ちを宥めてくれていた。
そんな感じでとにかく優しかった。


おじさんの存在は子供心に『他の人には知られてはいけない存在』だと認識していたので、食卓のテーブルの上に現れた時は驚いた。
大人はまだしも弟には見えるのではないかと思って様子を伺ってみたが、弟がおじさんの存在に気づいている様子はなかった。
そこで初めて、自分にしか見えないんだなと悟ったのである。


はっきりとは覚えていないが、幼稚園から小学校6年生くらいまでおじさんはわたしの側にいつもいた。
正直、精神的な成長はおじさんに育ててもらったと言っても過言ではない。
ASDで人とまともにコミュニケーションをとれなかったわたしが、おじさんと会話をすることで人との会話の術を学んだように思う。
おじさんのおかげで会話スキルがほんの少し上がったわたしは、同級生とも会話ができるようになった。
放課後に一緒に遊べる友達もできた。
そうこうしているうちにおじさんがわたしの周りに現れる回数が減り、おじさんに話したいことがあってもなかなか会えなくなってしまった。




と、ここまで書いたものを読み返してみるとなかなかにカルト感がある。
創作でしょ? と思われる人もいるだろうが、それはそれでいい。
おじさんはいなくなっても、確実にわたしの記憶の中にいる。
もしもう一度会えるなら「ありがとうございました」と言いたいところだけれど、もう二度と会えない気がしている。


改めて考えてみると、おじさんの代わりが今の主治医のような気がしてきた。
月に1度の診察の日にわたしの話をいろいろ聞いてくれる主治医。
心持ちおじさんに似ているような気もする。
いや、それはないか。
さっき顔も服装も覚えていないと言ったばかりだった。


さて、ここまで読んでくださったあなた。
あなたは子供の頃に自分にしか見えない友達がいましたか?





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