アートのことを何も知らない理系人間が→ 絵画を買うまでの話
子供の頃に多分美術館に連れて行ってもらったことがあったかと思いますが、記憶に何も残ってはいません。実家に飾ってあった壁の絵は両親がいつどこでいくらでその絵を手に入れたのか聞き出すことも話のタネになることもなく、ただ、今でも良く覚えていて、こういう絵だったよねと表現できる自信があります。絵画、というものがどこかで深層心理に影響しているのは確かだと思います(でも実家で使っていたスプーンの柄とかはっきり覚えているのが不思議というのと同じレベル?)
高校2年生からずっと理系の道を歩んできたので(だからといって計算が得意とか物理が好きとかいうことは全くない、むしろ不得意、念のため)アート系への露出は人よりとても低い10代〜20代でした。
大人になってから初めて行った美術展は渋谷Bunkamuraのシャガール展でした。青い背景に人間が浮いている絵のポスターを買ってきて額に入れ自分の部屋に飾ったのは大昔(もう、ない)。
そこから本物の絵画を買うまでは長い道のりでしたので振り返りたいと思います。
美術館は嫌いではありません。いろんなメジャーな美術館に行ってきたと思います。例えばルーブル(フランス)とかウフィツィ(イタリア)とかプラド(スペイン)とか、前述の通りほとんど何にも教育されていない(覚えていない)ので、とにかく絵を見ながら
「これは好き、これは嫌い、どっちでもいい」
と呟きながらスタート→ゴールを目指します。これに加えてもちろん
「有名>聞いたことがある>知らない画家」
という物差しも加わります。
そういう乱暴な美術館巡りをして、面白い発展がありました。気がつくと宗教画の中では、受胎告知* (The Annunciation アナンシエーション=神のお告げ)が好きということに気がついたのです。有名なThe Annunciationはウフィツィに入っているダヴィンチのもの、みなさんご存知ね!
(受胎告知* 処女マリアのもとに天使のガブリエルが降り、マリアが’聖霊’によってキリストを妊娠したことを告げる、またマリアがそれを受け入れる場面)
例えばメジャーなルーヴル美術館なんかではいろんな画家によるいろんなアナンシエーションがあちこちで見られます。ルーヴル以外でもフラ アンジェリコ、エルグレコなど有名な画家による有名なものから無名な画家によるものまでもうさまざま。マリア様の位置が右だったり左だったり、設定が屋内だったり屋外だったりのいろんな構図、ガブリエルのポーズや衣装、彼の得意げな表情、彼女の驚きの表情、穏やかな雰囲気、それともイナズマに打たれたような衝撃、百合の花、わくにとらわれる必要なく、画家の裁量を思う存分発揮できるテーマです。
私はクリスチャンでもないのに、どうして受胎告知(アナンシエーション)の設定が好きなのだろう? 宗教画では最も数が多いであろうイエスキリストの絵:十字架の上の彼、手掌やわき腹から流れる血、青白い顔などを一目見ると心臓ギュンと辛くなる(それを意図しているのですから仕方ない)のに対して、受胎告知は辛くならないからなのだと後から思いました。まるでオペラを鑑賞しているかのようなあり得ない「おおっ」という設定が、子を抱く母という確立されてしまった立場を描いている典型的な絵よりも、微妙な表情をのぞかせるマリア様をしげしげと飽きずに眺めることができるからだと思います。
ということでこれをきっかけに、私も美術館、楽しめるようになってきたじゃない?と自信を持てるようになったのです。
その後もギリシャ神話を読んだのをきっかけに→ギリシャ多神教の神々の絵もああ、あの話ね!とピンとくる→こういうふうに描かれるのか→すっかりじっくりしっかり見ハマるようになりました。
ということで、自宅にも飾る絵画が欲しいと思うようになりました。美術館での一度きりの出会いとは違い、毎日顔を合わせ一緒に暮らしていくので、飽きないもので、しかもきっと本当に好きなものでなくてはならない、そして個人で買える値段(もちろん)、そんな絵と出会うのはとっても難しいことですよね。
大きく分けて3パターンの買い付けをしました。
1. 投資用(必ずまた売れる)パターン
後でまた売れる(投資用)としての絵画は自分が好きというだけでなく、ある程度調べれば出てくる程度には名前が有る(有る名で有名)画家によるものの必要があります。その代わり、値段もある程度それなりにというパターンです。
もちろんマイナーですが、フランス人女性画家、ブランシュ カミユ Blanche Camus (1884 – 1968) の絵画がこのパターンでした。
Blanche Camusの絵画は新印象派。
印象派は輪郭を描かずに、色を点でおくので、全体的に見て初めて何かがわかるのが特徴で、マネ、モネ、で有名です。その後、新印象派という流れが出てきて、やはり印象派のように「点々」でおく技法には変わりないのですが、
つまり、ぼんやりの「印象派」→詳細がもう少しくっきりの「新印象派」、ということです。
印象派の絵はみんな大好き。例えば、モネの睡蓮の絵、パリのオランジュリー美術館でそのために建てられた建物で鑑賞するのは特別でした。
2. 一目惚れパターン
一目見た時から、いいね、欲しい、というパターン。この絵と暮らしたい、暮らしているところがヴィジュアル化できる、という運命の1枚です。
3. インテリア用パターン
白い壁を見つめていると、ここに何かが必要ですよ、と言われている気がする、そこのために買う絵画です。それほど高額でもなく、奇抜でなく、万人に愛され、他のインテリアとぶつからないようなあまり個性的すぎないもの。
大きすぎず、重たすぎないので、もし仮にどこかに引っ越すとしたら一緒にどこにでも行こうね、と思えるような絵です。
このパターンに当てはまるのが、もう1枚、うちの浮世絵「松風と村雨」
浮世絵は贋作コピーが多いので、北斎とか広重とか有名どころを買う時には、美術館所蔵のものと照らし合わせをして、色、形、サイズ、線の様子や絵師のサインなど全部全く同じであることを確認する必要があることを初めて知りました。
例えば喜多川歌麿の「女織蚕手業草」があるオークションで売られていましたが、でも本物なのか贋作なのか、大体、木版印刷で数が多い浮世絵でチェックのしようがあるのか、という難しい質問には、もう目を皿にして比較してみるしかないと(コピーもよくできているものが多い)
いつか機会があったら能の松風を鑑賞してみたいものですが . . .(見たことないし、能の良さが全くわかっていない)。
今回の記事はすごく長くなりましたが、これから他のnoteクリエイターの美術話めぐりに行ってみたいと思います。それではまた。
[追記 ]
みてみて、この方のnote
カルロ ・クリヴェッリ<聖エミディウスを伴う受胎告知>
ガブリエルが道を歩いてマリアに会いにくるという設定なのか、珍しいですね!Wikipediaにも「こうした公的性格は他の受胎告知の作品には見られない」と書いてありました。
そしてこの方はまさに受胎告知の記事。ボッティチェリの受胎告知、美しい、いつまでも眺めていられます。
エルグレコは全く違った雰囲気を持つので記憶に残りやすい