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東京国立近代美術館「中平卓馬 火-氾濫」と高梨豊「町」
表題の通り、東京国立近代美術館「中平卓馬 火-氾濫」を見てきました。
若さとは反発することで成立するのではないかと思います。
反発の道具に写真を使い、自分が正しいことを説明するための言い訳に言葉を使っているはずが、どこかで逆転し、やがて言い訳に本人が乗っ取られる時が来るのかなと想像しています。
それが写真にハマるということであり、考え過ぎるということであり、こじれらせるということかもしれません。
写真を撮る人間はシャッターを切った瞬間の気持ちよさから逃げることはできないと思っていますが、どうなんでしょう?
写真におけるあらゆる説明は、単なる言い訳に過ぎないと思います。
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中平氏は構造で写真を撮っているように思えます。
感性と反発が入り乱れた感情の人かと思いきや、違うのかなと。
構造に光(逆光)とワイドを取り入れているのが凄いと思いました。
関係ありませんが、カメラはキヤノン F-1(旧)なのに、ストラップはEOSだったようです。
中平氏の写真はがっかりするという方法で称賛するのが正しいように思えます。
万年6位の阪神タイガースへの愛のある、心の中での野次を含めた応援のようなものかもしれません。
それぐらい、凄すぎるものとは、よくわからないものであり、当たり外れが激しいものだと思っています。
また、新しいものは即座には理解ができないものとも言えるのかもしれません。
共感や感性で受け入れられるものに、単に私が飽きたのかもしれません。
現代の作家が中平の写真をリスペクトしようとして、最もやってはいけないのは、中平本人の話をとことん聞き入れて真に受けることなのでしょう。
本人の言葉は言い訳であり、反発とそこから得られる視覚的な快楽をその都度言葉にしているだけだと思っています。
なので、中平流に写真を撮るということは、人それぞれに自分自身が視覚的な快楽としての撮影を行い、それを後から言い訳することなのかと思ったりしました。
写真としては、『映画批評』の「風景」が一番好きでした。
シルエットの構造。
構成なのに空が多いのは凄い。
というのが感想です。
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中平氏の写真を一通り見終えた後、所蔵作品展「MOMATコレクション」を見ました。
一番驚いたのは、高梨豊「町」が飾られていたことです。
高梨氏の写真集の中では、「初國」「町」「地名論」の順に好きで、「初國」と「町」は新品では見たことがなく、古本屋さんでどちらも一度だけ見たことがあり、かなり欲しかったものの、あまりの高額で躊躇して購入できませんでした。
「地名論」は昔、大きな書店では売っていたので、何度かは見たことがあります。
高梨豊氏が当時、カラーを使ったのはモノクロームの抽象性を避けたとの説明がありました。
しかし今のデジタル時代から見ると、アナログの描写自体が独特の色合いをしており、それ自体が味になっており、抽象性になってしまっているように思います。
今は皆、デジタル臭を消そうとフィルムライクな写真を撮りたがっているのに、当時はそんなこと考えもしなかったというか、当時カラーフィルムを使うということは、今で言うデジタルティックな作風を目指すことだったんだろうと思います。
そこに無自覚であることが昭和っぽいことなのかもしれません。
昭和っぽさを古くさいと言ってしまうか、楽しんでしまうか、我々昭和生まれの人間には決断を迫られているのか?と悩むこともあります。
大袈裟ですかね。