トレーニングと言葉の力
どうも!火曜日担当の森宜裕です!
理学療法士という資格をもち、走りの学校講師の中で身体博士として活動しています。
今回は、フィジカルをトレーニングしていく上で「言葉の差」について考えてみたいと思います。
まずはじめに、
「言葉の不在は行為の不在」という考え方があります。
人間は物事や現象を認識・共有するために、はるか昔から言葉がそのツールとして用いられてきました。
トレーニングをどのように行っていくのか、ということも言葉になるから認識して伝えられることができますし、再現して共有することができます。
そしてその表現の言葉の幅が細くなればなるほど、より詳細で正確な表現ができます。
走る
→ラン
→スプリント
と分けることにより目盛りが細くなり、その表現の違いを多くの人が短時間で共有できるのです。
表現する言葉が少ないということは、違いを違いとして認識しづらく、いちいち説明を要します。
行為が言葉を作るという考え方もありますから、動作自体も生まれていないのかもしれません。
実はこのことが、トレーニングの取り組み方にも大きく影響します。
ただ「走る」というだけでなく、ランとスプリントと分けることで走り方の違いを明確にし、そのスプリント中でも「ベースポジション」という基点を言葉としても持っておくことが、人に伝えたり、自分自身のトレーニングとしても重要なポイントです。
走りの学校の授業では、走るという行為を細かく分けるでけでなく、そこに多くの「言葉・単語」を産み出しています。
単語として存在するということは、一言で状況や動作・すべきことを理解できることを意味しています。
とても伝達と認識が早いです。
実際に走るときにおいても、認識がされていることによって、フォームが変化しやすく、成果に繋がりやすいのです。
走るという行動をどれくらい細かく言葉で表して、そこを認識しながらトレーニングをしているかを今一度振り返ってみると、新しい発見があるかもしれません。
それでは!
走りの学校 講師 森宜裕
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