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謝り癖は自分への暴力になる

客観的にみると自分は全然悪くないのに。なぜか私対少人数という小さな関わりの中にいると、その場しのぎで謝ってしまうことがある。何となく誰が悪かったか探り合う場の空気が嫌いで。いっそ自分が悪かったことにしたら、丸く収まるんじゃないかって安直に考えて。悪くないってどこかで分かっているからなのか、「ごめん。」というとき、心はズキズキと痛くなって「これって理不尽だよね。」と伝えてくる。

高校生の頃、「悪くもないのに謝るなよ。自分を大事にしろよ。」と怒ってくれた友人がいた。その時は謝り癖がついてしまっていて、その友人の言葉にキョトンとしてしまったけれど。社会人になってからも、ずっとこの言葉を忘れたことはない。

会社に入ってからは、誰か一人のせいではなくて、きっと人手不足とか仕組みとか少し大きなもののせいだと思えるようなエラーがよく起こっていた。日に日に悪化していく殺伐とした空気感が嫌で、それを解消するべく使った手法は謝ることだった。

学生の頃は誰が悪いかが大体明確なことが多く、私が謝っても私が悪いとみなされることは少ないように感じていた。でも社会人になったら、誰が悪いか分からないまたは誰も悪くはない(仕組みの問題)けれど、エラーが起こるという状況をたくさん経験した。そしてそういう場合、謝り癖はどんどん理不尽な方向へと私を追い込んでいった。謝れば謝るほどに、新人のせいにしておけばいいかと、謝っている私にどんどん誤りが乗っかってくることになった。頑張っても頑張っても怒られたり、責任逃れされる日々に、心も身体もぼろぼろになった。

でもそのおかげで、謝り癖は優しさではなく、自分への暴力だということ、自分を大事に守れるのは自分しかいないことに、やっと気づくことができた。今はでこぼこ道だった社会人人生のスタートに感謝できるようになった。早い段階で謝り癖に気付けてよかった。自分を大事にする生き方も選べるのだと分かってほんと良かったな。

今日も自分を大切に、素敵な一日を🕊

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