noteは出会うべき人とアクセスできる場所「リアルでHSPやINFJと言えば『はあ⁉』という顔をされる」
あと1週間ほどで、noteへの投稿を始めて一年を迎える。
濃密な1年で書けば書くほど発見があった。
ライターなので、これまでは仕事として書いていた。しかしnoteはちがう。今まで誰にも言っていなかったこと、言えなかったことなどを赤裸々に書きまくった。
自己理解のため、自己受容のために。
約1年でたくさんの方とつながることができて、良好な関係が続いている。
noteは治安がいい、民度が高いとよく言われるが、やはりプラットフォームごとに集まる人間の性質は異なるのだろう。
僕が仲良くさせてもらっているnoterには、意識高い系のキラキラな人が苦手なタイプが多く、実直で率直で不器用だけど純粋性を失うことなく、何とか前に進もうとしている方がたくさんおられる。
僕自身も応援していただいている実感があるし、僕も仲間のnoterの方を応援したいと心から思う。
ちなみに僕は、意識低い系男子だ。世間が決めた価値観などどうでもよく、内発的な好悪を大事にして暮らしている論理よりも直感を重視する人間なのだ。
先日、この世を一度地獄だと認識してみることで気楽になるといった内容を投稿した。
利他の精神が皆無で、品性を失ったことにすら気づいていない粗野の人との関わりは本当に地獄だ。
余裕をなくしてエゴイスト、ナルシストに陥り、本能のままに行動しては人を傷つけ続ける人間が一定数いる。
社会では、物質主義にどっぷり浸かっている人が多い。
例えば筋トレをしにジムへ来ているのに肉体との対話をすることなく、ひたすらスマホを見ているスマホの傀儡的な人達を目の当たりにすると「なんだかなあ…」と嘆息しそうになる。
「スマホを操作している自分が、誰かに操作されている自覚がないのかも?」と切なくなるのだ。感じることと考えることを放棄し無為にスマホを操作し続けるロボット化した人間の瞳は、例外なく虚ろである。
知らない方がいい幸せ、気づかない方がいい幸せというのは確かにあるので、そのままの生き方を継続するのは、もちろんご本人の自由だろう。
今の時代は良くも悪くも人の性質の研究が進みすぎて、人間の行動を操作することがいとも簡単に行われている。そして実に大勢の人達が、何かに対する依存症になっている。
僕はフリーランスという自由な立場なので、幸いにして関わる人間を自分の意思で選べる方だが、たまに同じ日本語を用いているのに言葉が通じていない感覚に襲われる。
僕は、日常であまりHSPやINFJの話をしない。なぜなら時間をかけないと伝わらないし、時間をかけても伝わらない可能性が高いからだ。
現代はエコーチェンバーといわれる「タコ壺化現象」が、あちこちで起こっているため分断されて言葉が伝わらないというのは必然かもしれない。
noteでの価値観の分断もエコーチェンバー的な現象といえば、もちろん該当するだろう。
なので僕はnoteでは「ちがう価値観を持っているが、相互に受容できる人たちとつながりたい」という思いがある。
noteの仲間は、こちらの投げたボールをキャッチしてくれるし、反対に僕も「この記事、面白い!」と好奇心を刺激される形でボールを受け取る。こういった交流がとても心地良い。
これからますます二極化が進んでいく。
自分の内的資源に気づき、内発的動機づけができる人たちと、テクノロジージャンキーのような物質主義者に二分されるだろう。
今noteでつながらせていただいている素朴で魅力あふれる人たちは、もちろん前者にちがいない。