HSPやINFJにとって「どん底の時期」でも変わらず接してくれる人は「一生の宝物」になるという話
何度か人生が立ち行かなくなりそうなときがあった。
そのときに助けてくれた人とは、今でもつきあいがある。
過去に投稿したnoteでも何度か触れた記憶があるが、本日記すのは、その人の話だ。
20代初めから半ばまで、短期のアルバイトをしては引きこもるという暮らしを実家で続けていたのだが、一念発起しお金を溜めて実家を出た。
友だちも知り合いもほとんどおらず、社会的にぽつんと孤立していた、この頃の僕は常に不安で押しつぶされそうだった。
そのとき、昔つながりのあったひとりの先輩のもとを訪ねた。「拒絶されたら、どうしよう?」とドキドキしていた。しかし、いつもと変わらぬ笑顔で快く受け入れてくれたのが嬉しかった記憶がある。
振り返るとこのとき受容してもらえたのが、僕の人生にとって非常に大きい。
社会的に孤立している状態であっても、ほんの少しつながりがあるだけで精神状態は変わる。0が1になると勇気が生まれる。どんなに小さなつながりであっても、確かな関係が持てるのは大きい。0を脱することは、それほど価値があることなのだ。
お金もなく人とのつながりもなかった当時の僕は「今後の人生をどう生きようか?」と深く悩んでいた。「ろくな人生が待っていないかも?」と、得も言われぬネガティブな感情に襲われることもしばしばあった。
この頃の僕の自己肯定感は地を這うように低く、自己効力感もないに等しかった。挑戦するのが怖くてしかたなかったのだが、何もせずに年齢だけ重ねるのはもっと怖かった。
ビビりまくっていたが、なんとか奮起して「できることを、がむしゃらにやろう」と突き進んできた結果、今がある。
その頃、誰にも読んでもらえない駄文を書いていたのだが、この先輩だけは毎回、僕が持参した文章の印刷された紙にじっくり目を通し「面白い!」と言ってくれた。短所ではなく長所に目を向ける、その姿勢に救われたのだ。
今はありたがいことに、なんとかフリーランスとして10年近く、生計を立てられるようになっているが、あの先輩の存在がなければ、とっくの昔に潰れていたかもしれない。
先輩は誰にでも優しい平等な人だった。優しい振る舞いがデフォルトの人だった。ゆえに僕へ何か特別なことをしたという感覚もきっとないだろう。
あなたも人生の中で、心が折れそうになったり、先行きを案じて動けなくなることがあるかもしれない。
そんなとき変わらず寄り添ってくれる人の存在は、とてつもなく大きい。
もちろん自分の人生は当人の力で切り開くしかない。しかし変わらない姿勢で接してくれる人が近くにいるのといないのとでは全然ちがう。
人生が軌道に乗ってから出会う人もいる。人生が軌道に乗る前に出会う人もいる。
「出会うタイミングと縁には全て意味がある」というのは真実だろう。
つらい時期に出会えて今でも変わらずあなたと接してくれる人がいれば、その人はあなたにとって一生涯の宝物にちがいない。