自分の「強すぎる好き嫌い」を理解した上で出した結論「相手の好きなことを、その人の前で否定しない方がいい」
日々noteを書いてきて、自分の好き嫌いを肯定できるようになった。
元来、自分は好き嫌いが激しい人間である。
しかし子どもの時から「嫌いというネガティブな感情を出していはいけない」と昔から考えており、無理に抑圧して苦しくなることが多かった。
10年ほど前は、感情を無理に押さえつけた結果、数日、反動で何もできなくなり寝込むこともよくあった。
自己理解が深まると「好き嫌いがはっきりしているのが自分である」と思えるようになった。これは大きな変容である。
その上で考えたことがある。
それは、相手の眼前で相手の好きなものを否定しない方がいいということだ。
僕が人間関係の断捨離をする前に、歪な自己愛を持ち他者を加害し続けるある女性と一時期仲良くなったことがあった。
彼女はいつも女王のように振る舞った。
「それは私、嫌いだから」が口癖で、相手が大切なものを平気で否定する。「いや、それ私興味ないし」と一言告げて、すぐに相手を黙らせる。
愛するものを否定された人は、傷つくのだが、それは彼女には関係ない。
彼女にとって大切なのは「自分がどう感じるか」だけだった。相手は全く関係ない。
最初、僕は「自分とちがって好き嫌いをしっかり主張できてすごい」と思っていたのだが、だんだんと捉え方が変わる。
彼女は自分の好きなものに対し、相手が否定的なことを言うと烈火のごとく怒り「あなたの考えはおかしい」と相手を詰めるのだ。
今なら「成熟を拒否した、幼児退行を起こしている人間」と断じることができるのだが、その頃の僕はずいぶん彼女に翻弄されたものだ。
あるときを境に「こういう身勝手な人間とは今後、一切付き合わないでおこう」と心に決めて、連絡を絶ちもう10年以上、一切会っていない。
こちらが「人を尊重できない人間とは、会いたくない」というスタンスを貫くと、彼女の方から近寄ってこなくなった。
人間なのだから、好き嫌いはあっていい。
しかし、相手が愛するものを声高にその人の前で否定する必要はない。
それができない人は、相手を尊重できない身勝手な人である。
自分の気持ちを理解したうえで、どのような表現をできるかが大事だ。
何事もストレートに伝えることが正解だとは、今でも思わない。
相手の気持ちを考えた際に、その場に適した表現が必ずある。