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台風一過「ささやかで素朴な幸せに気づけた日」日常へ目を向ける
昨日の8/15(火)は、久々にどこへも出かけず、家でゆっくりと過ごした。
最近、様々な比較について、考える機会が多かった。
人は他者との比較によって「もっと頑張ろう」と向上心を持つが、同時に比較によって「自分なんかまだまだ」「あいつが妬ましい」となることも。
内心「この人に勝ちたい」「この人に負けたくない」と思い、頑張ることはレベルアップにつながるので良いと思う。
僕も負けず嫌いな方なので、負けたときの悔しさや、誰かに勝ちたいという気持ちはわかる。
ただし、仕事でもプライベートでも「全勝したい!」というような「全て勝ちに行く!」という姿勢で生きている人は苦手だ。
マウントをとるために、上位のポジションを獲得しようと力みすぎている人は、近くにいるだけでしんどくなる。
序列へのこだわりは人の本能かもしれないが、「上位のポジションにいなければ不安でしかたない」というのは、強迫的だろう。
日常では縦の関係よりも、横の関係の方が大事。
幸せは、比較と無縁だ。
ささやかな幸せ、素朴な幸せというのは、いつもそこにある。だけど目立ちづらいものだ。
多忙で怒涛の日々を送っていると、ささやかなことに目を向けにくい。
しかしゆっくりと時間が流れる環境に身を置くことで、「ああ、これが幸せなのか」と気づける。
昨日はたっぷり眠って、読書をして、冷蔵庫にある具材を使ってささやかな夕食を妻と作り「美味しいね」と言い合って食し、日が変わる前にふたりで床に就いた。
じんわりと幸福感を覚えられた日だった。
こういう一日は尊い。
多忙な日々の中では、見出しづらいものだと感じた。
「幸せとは何かを達成して獲得するものである」と考えている人もいるだろうが、もうすでに身の周りにあるのではないか。
心を整えゆるやかな時の流れに身を置けば、きっと誰でもそこにある幸せに気づけるだろう。
僕の感じる幸せは、取るに足らないと感じられるような、地味な日常の中にある。