HSPやINFJが「ゆっくり丁寧に」を意識することで、心に「安住の地」を築ける理由
病気やケガと無縁な暮らしを四十数年送ってきたが、今年、右肩を負傷した。
といっても大げさなものではなく、肩の可動域さえ意識すれば日常になんら支障はない。
現在kindle書籍の7冊目の出版を準備中だが、怪我でジムへ行く時間が減った分を、kindle書籍の執筆に回せたので、そちらが予定より早く完成しそうなのは嬉しい誤算だ。
「長年、酷使し続けた利き手の右手、右腕も消耗品だったんだな」と思いつつ、いたわりながら過ごしている。
咄嗟のとき、つい右手を勢いよく動かしてしまい肩に痛みが走ることがある。
僕は今、あらゆる動作に対して「動かすときは、ゆっくり丁寧に」を意識している。
以前、美意識についてnoteで記した。
落語家の立川談志は「上品な人間とは、欲望に対する動作がスローモーなヤツのことだ」と定義したが、最近、この言葉を噛みしめている。
雑踏の中で、一心不乱にずいずい前進し、人が避けてくれることで進路を確保するような人を見ると「品がないなあ」と感じる。
電車に乗り込んだとき「我先に」と、人を押しのけ自分の座る席を確保する人を見ると「品がないなあ」と感じる。
(※もちろん座らないとしんどいコンディションでいらっしゃる方を除いた話)
有事のときなどは、品位を保つ行動を優先できないかもしれない。しかし、なるべくなら品を損なわず生きたいもんだ。
近年、ミニマムな暮らしの重要性が見直されているが「ゆっくり小さく」は品をなくさないために大切である。
右肩を負傷してから、動くときに一呼吸つけることになった。
焦ってセカセカ話してしまうときには、出だしにこの一呼吸がない。
スタートでゆっくり入れば、そのあと、ゆったりとした間を作って話せる。
このテクノロジーだらけの令和の超情報化社会で暮らしながら、心に余白を設けるには「いかにゆっくり動けるか?」を意識するといいかもしれない。
安住の地は外側でなく、内側にある。
あなたの安住の地は、あなたの心にあるかもしれない。