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HSPやINFJで「不思議な人」と言われがちな人ほど「簡単に定義できない魅力」があるのかも?

世の中、わかりやすさが求められる。

自己アピールや自己主張が苦手な人ほど「一体あなたはどういう人なの⁉」と言われやすい。

仕事をする上で、自分をわかりやすく伝える必要性はわかる。

ただしどういった状況でも、わかりやすい人として振る舞う必要はないかもしれない。

自分の一面を切り取り「私はこういう人ですよ」と伝えることを、自己呈示と呼ぶ。

自己呈示は、あくまで一面的な呈示だ。

「他者からこう見られたい」と、自分を演出してキャラを演じる人がいる。

無理なキャラを演じるのは、心に悪い。内向的な人が無理に明るく振る舞おうとすると、あとでへとへとになる。なぜなら自分を偽っているからだ。感情を偽る躁的防衛は、心に負担がかかる。

コミュニケーションとは相互の間で成り立つものである。

あなたのことを早い段階で「わかりづらい」「よくわからない」とジャッジする人は、もしかしたらあなたと相性が悪い人かもしれない。

あなたと長期的に関係を築いていきたいと考えている人ほど、あなたに対して「よくわからない」といった所感を述べない。あなたのことを「ゆっくりと理解していく」ことを楽しめる人は、残念そうな顔をして「よくわからない」などとは決して口にしないだろう。

カテゴライズされやすい、わかりやすいとされる人ほど、意図的に自己呈示をしているものだ。

しかしその自己呈示が「全ての人に求められるか?」といえば否だろう。

わかりやすくないということは、奥深いことかもしれない。

僕個人の主観を述べさせてもらうと、わかりやすすぎるものには、魅力を感じない。平面的に映るからだ。現代的でキャッチーだろうが、奥行きがない。

人間は多面的で複雑な存在である。だから全てを伝えること自体、困難だ。

つまり「不思議な人」「わかりづらい人」と言われても、全く気にする必要はない。

大切にしてもらいたいのは、あなたのことをわかろうと関心を寄せる人である。

あなたに関心がある人ほど、長期的に愛情深くあなたとのコミュニケーションを楽しむものである。


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