「やらかした…」と思い悩んでも、他者は意外と気にしてない…という話
これはもう僕の癖なのだと思うが、今でもたまに対人関係の中で「取り返しのつかないことをしてしまった」「これは怒らせたに違いない」とあとから、冷や汗をかくことがある。
だがほとんどは杞憂に終わり、何もないまま日々が過ぎていく。
こちらの記事で書いたが、僕はポンコツ野郎だ。
自転車をとめた場所を忘れて、徒歩で家に帰ってきて「あっ、今日自転車乗っていってたんや」みたいなことがよくあるし、何かとやらかす。
生真面目なので初対面の人には失礼のない振る舞いをしようと心がけるが、回を重ねるうちに粗忽なところが顔を出す。
きっちりしいの人から、たまに正しさという基準で怒られることもあるが、これはしかたない。
論理を追求しすぎる人、正しさを追求しすぎる人とは基本的に合わないので、「すみませんね」と頭を下げて距離を置く。
四十路になると、結構な年月お付き合いさせていただいている友人、知人が増える。
こういう気が置けない人相手でも、僕はたまに「やらかした!」と痛烈に後悔し、帰宅してからくよくよ悩み寝付きが悪くなる。
「これは繊細さんあるある、HSP気質あるあるかも?」と感じている。
ただし、僕が「やらかした!」と感じているのは主観的なことであることが多く、ほとんどの仲間は何も気にせず付き合いを続けてくれている。
つまり僕のポンコツな部分というのは、すでに理解し受容してくれているので、想定内というわけだ。
最近では「やらかした!」のあとに、「まあこれで縁が切れるのならしかたがない」と少しだけ開き直るようになった。
だが縁を切られることはなく、「別にええやん、それで」という感じで関係は続いていく。
僕は無意識レベルで、自分の周囲を、心優しい人で固める戦略をとって生きてきたので、それがリスクヘッジとなっているのも確かだ。
多くの心配事は現実化しないし、自身の不安で大きく膨らませてしまったネガティブなことのほとんどは、その人の心の傷や劣等感に関連したもので、現実的ではないのだ。