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HSPは超常刺激の軽減で心身の安定を「依存症ビジネスの危険な罠」

最近、超常刺激という言葉を知った。

超常刺激とは、ゲームやスマホのアプリ、お菓子(ジャンクフード、糖分の多いもの)などの強い刺激を持つものを指す。

この世は「いかに人を依存させるか?」「いかにハマらせるか?」の仕掛けに満ちている。

「僕らはそれに抵抗できない」という依存症や嗜癖について詳細に分析した本がある。

依存症ビジネスについて解説されている著書だが、連続物のドラマを見続けるの行為も「ビンジ・ウォッチング」という依存症に該当するという。

「刺激的なものといかに距離を置くか?」は、最近僕が意識していることなのだが、油断すると刺激に吸い寄せられるのが人間の性質だ。

ジムへ行く際にスマホを家に置いてから出掛けるようにしている。

ジムを見渡せば、筋トレよりもスマホの操作に夢中な人ばかりでぞっとする。

トレーニングをする場に足を運んでも、スマホを手放せないのは依存症と言われてもおかしくないだろう。

元来、繊細さん、HSP気質の人は神経の網の目が細かいので、多くの情報を拾いやすい

現代人は、江戸時代の人の1年分の情報量をたった1日で得ると言われているほど、情報過多で脳は休む暇がない。

脳が炎症を起こした状態が続くと、心身に不調が出るので注意しなければならない。

超常刺激と距離を置くひとつの方法がある。それは自然に触れることだ。

僕はメダカや亀を飼育している。メダカの水槽の中を見つめたり、外出している際に花鳥風月を意識して俳句のネタを探すのは心に良い。

「木下闇(こしたやみ)」という季語がある。

「木下闇」とは、夏の季語。意味は「鬱蒼と茂る木立の下の暗がりのこと。昼でも暗く涼しい場所」だが、この前、炎天下で信号待ちをしている間に、ふと木陰に入った。

信号が変わる間に、地面に露出している木の根の辺りを見ると、缶や瓶、煙草の吸殻などゴミが溢れていた。

ゴミを捨てるマナーの悪い連中は嫌いだが、僕と同じように日光を避けた人間が「信号待ちの間にゴミを捨てていったのかな?」と想像した。

このようにスマホ以外に目をやると、色々な発見がある。

都会で暮らす人の一部が、公園で休憩するのは、テクノロジーによる疲弊を自然で癒そうとする意図があるかもしれない。

現代ビジネスは超常刺激によって、いかに人を依存させて課金させるか?という構造になっている。

そこを理解した上で、適度にテクノロジーの恩恵を受けつつ、もっと外側へ関心を持ちたいと思う。

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