恩師Mさんの言葉「天の配牌に、いちゃもんつけるな」
僕の人生に大きな影響を与えたMさん。
すでに鬼籍に入られてる彼は、間違いなく僕の恩師だ。
先日、投稿した記事の中で
Mさんの「おもろないから笑ってるんや」という言葉を紹介させていただいた。
Mさんは名言の多い人だった。
文句や愚痴は、ほとんど言わない。
酒や煙草、ギャンブルを好むダンディな快楽主義者だった。
Mさんがとりわけ好きだったのが麻雀。
僕はテレビゲームくらいでしか麻雀をしたことがないので、ぎりぎりルールが分かるくらいのレベルだ。
麻雀は、最初に親が14枚、子が13枚の牌をもらうのだが、これを配牌と呼ぶ。
いかさまでもしない限り、自分のもとにどんな牌が来るかがわからない。
配牌はコントロールのしようがない。
麻雀好きのMさんは、よく人生を麻雀に例えた。
「ええか? 配牌に立てついても始まらへん」「配られた雀配で、どう戦うかがおもろいんや」と何度も言っておられた。
親ガチャという言葉が近年の流行りだが、この世に生まれ落ちること自体、麻雀の配牌によく似ている。
性別、身長、体重、骨格、顔面、足のサイズ、性格、特性、知能などは、遺伝子で決まる。
これに対して「気に入らない」と文句を並べること自体、傲慢かもしれない。
Mさんは自己受容の上手な方で、常々「俺は賢くない。せやから賢い人間に助けてもらってここまで来た」ともおっしゃっていた。
怒りの感情を出さずいつもニコニコしておられたMさんだったが、彼の部下で始終「あれが気に入らない。これが気に入らない」と文句や愚痴を言う男性がいた。
彼に対してMさんは珍しく怒気を帯びた顔で「お前アホか? なんで自分の配牌で勝負せえへんのや」「天の配牌にいちゃもんつけるな、どあほ」と言っておられた。
「天の配牌」という言い回しが僕は好きで、今でも印象に残っている。
確かにそうだ。
配牌に文句を言うよりも「この配牌でどんな役が作れるか?」を楽しんだ方が人生は有意義だ。
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