HSPやINFJは世間が決めた「ネガティブなニュアンスを含む定義」に気落ちする必要は少しもない理由
昔と比べて、定義の種類が増えた。
令和の社会は「〇〇にあてはまる人は××症候群である」的な、ラベリングがあまりに多い。
これらにひとつも当てはまらない人など、きっといないだろう。
僕は言葉を「人間の幸福度を上げるために使うべきもの」と捉えている。
しかし、その反対に「誰かが決めた定義」で苦しむ人が増え続けている。
悲しいことだ。
誰でもなにかしらの凹凸がある。それらは特徴であり特性であり、時にあなたを助ける武器にもなる。
元々備わった性質を、外側から植えつけられた価値観でジャッジするから、つらくなる。
「自分はこういう特徴があるんだ」と、そのまま受け止める、受け入れる。
本来はそれだけでいいのだ。
高い身長に生まれた人は、バスケやバレーという競技をするうえで、平均的な身長の人より有利なように、あなたの特性を活かせるかどうかは環境によって大きく変わる。
あなたは自分の意思で、あなたに合った環境を選べばいい。
あなたがあなたらしく過ごせる、心地よい環境に身を置くのだ。
そうすれば、世間が決めた細かい定義など気にならなくなる。
世間があなたの生き方を決めるのではなく、あなたが自らの意志で選び出す。それが重要だ。
人生を充実させるのは能動性と意思に他ならない。
「あの人から言われたら、自分は〇〇なのだ」と気にする必要は少しもない。
重要なのは「あなたがどんな環境で何をしたいか?」である。
あなたがあなたの強みを活かせる場所へ、自らの足で踏み出そう。
それさえできれば、さらにあなたの人生は素晴らしいものに必ずなるのだから。