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口下手なHSPやINFJが発する「悲しみに耐えてきた人、特有の憂い」について

その人が発するものは、ときに言葉よりも雄弁なことがある。

表情であったり振る舞いであったり、どことなく醸すものに憂いがある人もいる。

この憂いをどう解釈するかで、人付き合いが変わる。

表層にしか目を向けられない人は「暗い」「無口」といった一面的な解釈をしがちだ。相手の背景に関心を寄せられない人ほど、端的なわかりやすい言葉で断定する。決めつければそれ以上、相手について考えなくて済むからだ。

憂いを「悲しみを抱えて生きてきた」「悲しみと向きあってきた」と受け取れる人は、相手の背景にまで目を向けられる人だ。

誰にだって人に言えない事情がある。

成育環境によっては「防衛的にその生き方を選ばねばいけなかった」という人だっているだろう。

表には出ていない部分を掴み取れるかは、想像力と人への関心が関与する。

その人のコアな部分に関しては、よほど親しい関係にならなければ開示してくれないことが多い。場合によっては当人も、無意識の防衛が働くことで、奥底にある問題そのものを忘れている(と、その人の心が結論づけ意識できない状態で固着している)ことすらある。

僕が長年、仲良くできている人は「相手の憂いを受けとめる感性がある人」が多い。

以心伝心ではないが、こういった人ほど言わなくても察するため、境界線を超えてこない。

心地よい距離感で接することができるのだ。

それほ当人も、さまざまな悲しみを抱えて、そこと向き合ってきたからなのだろう。

憂いを抱えながら一切言い訳することもなく、懸命に前へ進もうとする不器用な人が好きだ。

言葉で表現できることなど、たかが知れている。

つまりは、その人から発せられる言葉以外のものの方が、はるかに雄弁なのだ。


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