ずっとこの世界が怖かった
最近、腑に落ちたことがある。
僕はずっとこの世界が怖かった。
社会が怖く、人が怖く、人間関係を築くのが怖く、働くのが怖かった。つまり生きるのが怖かったのだ。
だから20代の前半に、実家の自室へ籠るようになり、全てに背を向けていたのだろう。
引きこもり状態から脱したのは、危機感からだった。
その頃の僕は、自分の心から目を背け「別に何も怖くない」と否認しながら強がって前に進んだ。
「そのときはそれが必要で、弱かったからそうしないと前に進めなかった」と今ならわかる。
恐怖や不安で人生を切り開くことができない人を見ると、心がかき乱されそうになることがある。
それは、かつての人生で一番つらかった自分のあのときの気持ちを思い出すからだ。
同時にそういった人たちを見ると「つらいだろうけど、自分の力でなんとかしなければ、現実はなんともならない。自立心を持ってあなたの歩むべき人生を自力で進んでほしい」とも願う。
助けてくれる人はいても、本当にあなたを変えられるのはあなたしかいないのだから。
世界が怖いというのは、外界への恐れに他ならない。
「私はいろいろなものが怖い」と認められる人は強さを持っている。
「怖いものなどない」という人は、虚栄心や劣等感が強いので、否認する癖がついている。それゆえ自分の弱さから目を背けやすい。
どちらが人生を前向きに変容できるのかといえば、間違いなく前者だろう。
怖いものは怖くていい。
「怖さを認めたうえで、今、何ができるか?」を具体的に考えて行動に移せる人の未来は明るい。
恐怖や不安は、あなたが行動を続けているとやがて和らぐ。
揺れる柳の木が幽霊に映ったように「怖がる必要がないものを過度に怖がっていた」と、いずれわかる。
そうなれば、人生は怖いものから面白いものに変わる。
恐怖や不安は、あなたに危険を知らしてくれるシグナルだ。なので完璧に克服する必要はない。
まずは「怖がっている自分」を認めるところから、始めるのがいいかもしれない。
今のあなたがどう感じているかを裁いてはいけない。
「ああ、私は今こう感じているんだ」と知ることが、あなたの人生をより良いものへと変える第一歩となる。