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自分が見たい世界に、埋もれてるだけ。

もうダメだ、そう思うこともある。

なにもかもうまくいかない、そう思うこともある。

と同時に「そう思いたいだけ。」と思う自分もいる。

結局、じぶんがそう思いたい世界でしか人間は生きられないのだ。それは、じぶんが見たい世界の中で、みたいものだけみて生きているということ。


そんなばかな。そう感じる人もいるだろう。今のこの悲惨な状況を見たくてみているわけがない。自分はこの状況を望んでなんかいない。と。


はたしてそうだろうか。


じぶんが意図して向いてる方向が、悲惨なだけなのではないのか。そこをみている方が被害者になれていいと感じているのではないか。その状況に浸ればその他の向き合いたくないことに対応しなくて済むと、1ミリも思ってないといえるだろうか。


真っ暗なんてものは、ないとおもう。すべてが絶望なんてものがないのと同じように。

光があるから影は影として存在でき、影があるから光は光たりえる。両者は共存している。ともに同じベクトルの延長上に存在するということ。


真っ暗なのは、見ている方向の問題なのである。暗い側を見ている選択をしている自分がいるだけ。


まったくもって絶望しかない人などこの世にはいない。ましてや日本で生まれたのなら尚更だ。


雨風しのげる家があり、蛇口をひねれば水がでる。退屈を埋める道具にあふれている。


想いを話せる人もいる。


想いを話せる人がいない。のではない。想いを話さない私でいると、自分自身できめているだけ。


自分から想いを話すことのない人に対して、人は想いを語ろうとはおもわない。

逆もまた然り。話せば、話されるのだ。


果たしてじぶんは、そう在れているだろうか。


だれかに気持ちを話せているだろうか。悲観的に寄りすぎていないだろうか。100%不幸なのだろうか。


餓死寸前、服も着られず、住む家もなく、家族友人知人にいたるまで0であるだろうか。


人は見たいものをみて生きている。

見たいものの中で埋もれてる。





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