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憎しみを込めた餃子を。

初めまして。

初めましての投稿がこんなことでいいのだろうか…と考えてはみたけれど、

そもそも鬱憤を晴らし自分の心の声を文字にして心の整理整頓をしたく、始めたノートなのでお許しを。

はじめに私は二児の母である。

20代前半、大学卒業してまもなく結婚&妊娠&出産&離婚&再婚&出産をして現在、私は30を少し過ぎたところだ。

離婚原因はいろいろとあったが大きくは元夫の発達障害疑惑のせいで私がカサンドラ症候群に陥ったことが原因と言えるだろう。

彼は決して発達障害を認めず、

「個性」と言う言葉を重んじた。

私は自分の「普通」がこんなにも他人を「傷つけること」なのだと痛感させられる日々でなにをどうしたら普通の日常が歩めるのか、分からなかった。

この辺りの話はまたゆっくりと書くことにしよう。

さて、そんな元夫の血を引継ぎ、我が家の長男は現在発達障害と診断され通院中。第二子は魔の三歳児真っ只中である。

今朝。

彼らは待っていました!と言わんばかりに太陽を眺め、まっすぐに私に言った

「プール!!!」

来たか。またか。だがしかし、外出自粛の中、彼らを楽しませ疲れさせてくれるのだから、準備の手間くらいいいことにしよう。

お風呂掃除を済ませ、洗濯物を回し、ビニールプールを丁寧に掃除した。

水を溜め、子供たちを着替えさせ、入水。

窓目に眺め、掃除機をかけ始め、

5分と経っただろうか。

泣き声と共に3歳娘がやってきた。

「寒いー!」

もう出るのかと聞けば嫌だ、と。

タオルに包まるかと言えば嫌だ。

着替えるかと言えば嫌だ。

お兄ちゃんはさっさか

「俺もういいや」と着替え始めた。

よくよく聞けば他愛もないケンカが原因らしい。

しかし、着替え始めた兄をみた妹はさらに泣いた。きっと彼女の中ではさっさか仲直りをし、また一緒に遊ぼうと思っていたらしい。

兎にも角にも、お兄ちゃんを叱れ、と言わんばかりにに来ただけだった。

しかし状況を見ていないし、お兄ちゃんはさっさか着替えて家の中。

ほぼ120%の質問にNoとしか言わない3歳児。

30分以上かけて準備して5分で終了。

溜まった家事。

やりたいわけではない家事。

have toなのだ。

私のイライラを悟った娘は今度はパパを召喚。

「ばぱ〜〜まぱ〜〜」

誰を呼んでいるんだ。

そこへパパは「なに?」とものすごく単調に言い放った。

泣き喚く娘。

「なに言ってるかわからん」

部屋に戻る父。

さらに大声で泣き召喚

ここでだんまりを決め込む父。

きっと夫も虫の居所が悪かったのだろう。

もはや無視。

お兄ちゃんが呼びに行っても無視。

諦めた私。

「ママと遊ぶか?」

「やだ〜〜」

「ママとプール行く?」

「や!!!」

押し問答の末…

ぷつん


こころの糸が切れた音がした。

つーーっと予期せぬ生暖かい水が頬を伝った。

紛れもなく

泣いているのは私だった。

もうだめだ、と思った私は

財布に携帯、マスクに除菌グッズを詰め込み、家を飛び出した。

なにかが限界を超えた。

その「なにか」がなにで涙の「理由」がなんなのかも私にはわからない。

ずっとイライラしてたわけではない。

1日に一回些細な幸せを喜べるだけの余力は持ち合わせていたつもりだ。

毎日、いい感じに手を抜いて、いい感じにダメな妻で、いい感じにどうしようもない母親だったはずだ。

完璧なんて目指さない。

無理なんてしない。

それなのになぜだ?

自粛をしっかりし続ける我が家は週に一、二度買い出しに行くくらいしか出ていない。

家出といえど、自粛をせねば。

こんな時でも冷静さが邪魔をする。

結局近くの駐車場の車の中で気持ちを落ち着かせ、ちょっと遠めのスーパーに買い出しに行き、帰り道旧友に電話をし、そして帰路に着く。

ただそれだけの家出。

これは家出というのだろうか。

家に帰るとけろっとした顔で

「ごめんね〜?」と3歳児がすり寄ってきた。

言わされている。

それも長男に。

夫はそんな細やかならアフターサービスは行っていない。

こんなところでやたら気を使うのが息子の性格だ。

息子は「あの時はなんにもフォローできなくてごめん」と言ってきた。8歳で。完璧だ。

だがしかし、君に言わせている親共はダメ親だ。ごめんよ、君はなにも悪くない。ケンカの発端は知らんが。それでも君が全てを背負った顔をして謝って事を治めようとしていることにコトサラ腹がたった。


あ、そうだ。

わたし、夫に、夫に怒っているのだ。


ここでわたしも気づいた。

こころの糸が切れたわけ。

涙がつーーっと流れたわけ。

夫が優しくないのだ。

泣いてる娘の声を聞いて

「どうした?」と尋ねて欲しかった。

わたしのこころの糸が切れる前に

「ぱま〜〜」と泣き叫ぶ娘の声に

きちんと耳を傾けて欲しかった。

だんまりを決め込む夫に。

泣いている娘を無視する夫に。

私じゃ嫌だと拒否られ困る私を無視する夫に。


腹が立ったのだ。

家出の後に気付くなんて愚かな女。

せっかくの家出は無意味だった。

気持ちを切り替えたつもりが

自覚してしまうとまたメラメラと。

そこで私は思いついた。憎しみを行動化して発散するのだ、と。

言語化してはいけない。

言葉は凶器だ。

夫はまるで悪気がない。

諦めている。

そういう人なのだ。

そしてそういう人を選んだのだ。

きめ細やかなサービスはない。

アフターフォローもない。

気の利いた営業トークもない。

でも口数が少ない分、文句も少ない。

否定も少ない。

なにも言わないのだ。

だからわたしも言葉で彼を責めてはいけない。

なにも生まれない。

言うとしても今ではない。

もっと2人がうまくいっているときに

そっと言うのだ。

あの時は寂しかった。

優しくして欲しかった、と。

それを可愛く言える心境になるまで言語化してはいけない。

そうだ、憎しみを込めてみじん切りを。

なにかをとにかく細かく刻んで

一心不乱に刻んで

そして憎しみを込めて握り潰したい。




餃子だ。

そんなわけで我が家の食卓には

私の憎しみがこもった餃子が並んだ。

それはそれは怒りの全てを混ぜ込んだ

丸々と太った餃子が。


美味しい!と頬張る子供たちに

チクリチクリと罪悪感を抱くほどに憎しみを込めた。


いつのまにか憎しみは消えていた。

夜の晩酌の支度をしてあげられるまでに。


さようなら、餃子となって消え去った私の怒り。









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