21世紀は感情の時代

17世紀から18世紀にかけては啓蒙の時代と呼ばれます。ルソー、アダムスミス、モンテスキューら名だたる歴史的思想家が近代社会の枠組みとなる思想を生み出しました。

18世紀末から19世紀は革命の時代でした。アメリカ独立革命、フランス革命に始まり、革命によって社会を変える共産主義も生まれたのが19世紀です。

そして19世紀から20世紀はイデオロギーの時代です。帝国主義に基づく列強による植民地拡大とそれに伴う二度の世界大戦を経て、20世紀後半は世界を東西に分かち、それらに属さぬ第三世界に分けたのはイデオロギーでした。

では、20世紀末から21世紀を何の時代とするか。技術的にはインターネット、ITが間違いなく時代を代表するものになりますが、思想的にはむしろ思想ではなく「感情」で動く時代になったと言えるでしょう。

21世紀は「感情の時代」です。

理論や思想、法の支配よりも感情とそれに伴う行動によって世界が動いています。「正しさ」よりも「正しいと感じるもの」にオールインして、それを認めるか認めないかの二分論があらゆる分野に及びつつあります。

人間を「中世」から「近代」に移行させたのは、理性によるものです。間違いがあれど、理性を保つこと、理性を働かせることこそ人間らしいとされてきました。

今の「感情の時代」がその理性偏重主義に対するカウンターなのか、ただ単に人間が劣化したことによるものなのか。あるいはIT技術の発達により、理性的な言動はコンピュータに任せれば良いと無意識的に感じた人類の対抗手段なのか。

時に、感情は暴走したり、コントロールが難しかったりします。それをもって「感情の時代」に悲観的になってしまいますが、理性だって暴走します。帝国主義、植民地主義も理性によって発展した近代から生まれました。奴隷制だって今となっては荒唐無稽な言い訳に聞こえますが、奴隷制を進めた政治家・役人・商人・教会にとっては論理的にその必要性を唱えていたのです。

それでも概ね近代を通じて、中世にはなし得なかった成功を人類は収めてきたのです。多くの失敗や悲劇を生み出したものの、自力救済と人治主義と無法状態が当たり前だった中世の方が良いとは思いません。

理性の暴走を制御してきた人類は、それと同様に感情の時代を通じて感情の制御を出来るようになるでしょうか。それが出来てこそ、21世紀は感情の時代「だった」と言われるようになるはずです。

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