見出し画像

理不尽は怒りは相手の顔面にいきなりパイを投げつけるようなものだ。

今回のコロナ禍がきっかけで始めたものはいくつかあるが、その1つがネットスーパーだ。ためしに1度だけと始めたものの、配達員のおっちゃんは感じのいい人ばかりだし、衝動買いもしない(できない)。何よりも「家族の食材の買い出し」という家事がなくなることは予想以上に生活の負担を軽くしてくれるのだということがわかり、いまや週1ペースだ。

今日も指定した時間にインターホンが鳴り、元気な到着の挨拶が聞こえたので、頼んでいた期間限定のチョコが待ち遠しくて弾むように玄関に出た。

ドアを開くとまず納品結果が知らされる。「今日は欠品はありませんでした」とか「今日は1つ品切れがあります」とか。今日は欠品ゼロだそう。

野菜や総菜の入った袋を次々に運び入れていると、おっちゃんがついついボヤいてきた。「1品欠品するだけで怒鳴る人けっこういるんですよ。ものすごく怒られる。毎回ビクビクしながら行ってるんですよ。この時期だからってのはあるけど・・・参っちゃう」

一日でどれだけの家を回るんだろうか。相当な軒数だろう。その1軒1軒に対して、ドヤされるかもしれない可能性とともにインターホンを鳴らさなければいけないなんて。さぞや気の滅入ることだろう。サービス業ではありがちだ。私にも経験がある。

うちは今までほとんど欠品の商品にあたったことはない。運がいいんだろうか。しかしこれに関しては「当日欠品が発生することがあります」とサイトにも謳ってあるし、もしもダメでも自分が買いにいけばいいかと思い「はい、わかりました」の一言で終わっていた。

「じゃまたよろしくお願いします!」にこにこ笑っておっちゃんは帰って行く。なんかちょっと切なくなった。

おもむろに、しかもそれほど面識もない人に、激しく怒りをぶつけられる。
それは、道を歩いていたらいきなり白い生クリームのパイを顔に「パァン!」とやられるようなものだ。やられた方は第一に、とても惨めな気分になるし、恥すら感じることもある。そのベタベタしたエネルギーは、何日も頭にこびりつく。

思い出すのが「日本人には、世間はあるが社会はない」というやつだ。
「世間」それは「自分の利害の絡む、コミュニティーや個人」だ。ご近所さん、職場の人、子供関係、知人友人まで。“半径数キロメートルの世界”だ。

では「社会」といわれた時、どんなイメージを持つだろう?
世間の背後にある“匿名の人たちの集まり”みたいなものか、それとも自分の人生にとっての“舞台セット”や“背景”か。
しかしだからこそ、人はとたんに目の前の気に入らないヤツにいきなりパイを投げつけることができてしまう。

なんとなく、日本人の考える「社会」というものは「勝手に自分は頭数に入ってない」というか「自分とは接点のない、外側世界を指すもの」なのかもしれない。自分もまわりまわって構成要素になり得るという当事者意識のうすさを感じることがある。「世間」には属しているが「社会」には属していないという、なんか不思議な世界観。

私にも経験がある。クレームの電話を受けて、お互い話しているうちに素性が知れてきてしまったり仕事上で実は関りがあったりと“何だか匿名じゃない感じ”がうっすら分かってきた途端、一気にトーンダウンし収束に向かう。あれれ、急にまるく収まったぞ。ここでも「社会」は唐突に「世間」になる。

どうやら日本人は「社会」って言われてもあまりピンとこないみたいだ。
それならばいっそ「濃度の薄い世間」でいいのかな、と思った。
あるいは「法事でしか会わない遠い親戚」みたいな存在みたいなものかもしれない。

たまに近況報告や世間話をする。用があれば関わる。でも普段は関わらないし、首もつっこまない。遠い存在だから家族や友人に対してするような多大な期待をかけないし「そうか、しかたないよな」でいられる。慣れ慣れしい言葉やきつい言葉は使えない。一応最低限の礼儀がある。損得関係は・・・ないといったらやっぱりどこかで影響が及ぶことがある。でも逆に困っている時に、そっと助けてもらったりする。社会の構造に似てないかな?

さっきのネットスーパーの配達員が親戚のおじさんだったらどうだろう。
「いいか、欠品なんかあろうものなら・・・」と手ぐすね引いて待っていたのにいざドアを開けたら知った顔。
「いや人手不足だっていうんで、知り合いから少しの間って頼まれてさ」
そんな時、きっとあなたは「欠品?いいよ、いいよ。あとで買うから!」と言うのではないだろうか?まさか次の法事で顔を合わせるだろうはずの相手に、焼き海苔ひとつで怒鳴りつけるわけにもいかない。そしてあまりにも欠品が多いようなら目の前のその人ではなく、スーパーそのものに問い合わせてみるだろう。

面倒臭いけど付き合わなくてはいけない人。
でも助けてくれるかもしれない人。
社会って、案外近いものなのかもしれない。
そして私も相手にいつかどこかでそう映るのだろう。

だから少しでも想像してみる。
想像力はなにも何か作る時だけに必要なものじゃない。こういうときに結構役立つものだ。

おっちゃんの仕事を終えたあとの酒がおいしいものになるといい、そんなことを想像してちょっとだけ書いた。お酒飲む人なのかは全くわからない。
しかしそこはまあ、いちいち知らなくてもいいかと思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

越水玲衣【12月18日発売 マガジン書籍化】
毎日の労働から早く解放されて専業ライターでやっていけますように、是非サポートをお願いします。