SNSを辞めるきっかけ

前回,SNSを辞めた旨を認めた。

では何故辞めたのか?
先に言っておく。何かで炎上したわけではない。

そもそもにSNSを利用する意義というか,目的というか,何のためにやっているのだろう?,という疑問をここ1~2年,ずっと持っていた。
勿論前回書いた通り,友人・知人が何をしているのか,何を思っているのか,それを見るのは,とても楽しかった。
しかし,これも前回書いた通り,SNSの閲覧は,それだけでは留まらなかった。そして,見終わってから経過した時間を知り,沈んだ気持ちに気づき,一体何のために費やした時間だったのか,後悔する。
けれど中毒とは怖いもので,そんな後悔は数時間後には消えてなくなっている。
それであれば元を断つしかない,と思うのは,恐らく自然の成り行きだろう。しかし,そうはできなかった。何故ならば,そう,友人・知人たちとの繋がりは,とても大切だったから。
けれど,常に辞められればという思いは私に付きまとっていたし,恐らく何らかのきっかけを常に探していたのだと思う。
そして,そのきっかけが,9月に訪れた。

某日,私は出張先のマイアミから,アパートのあるシカゴへ帰る機内にいた。
座席はエコノミーの前から3列目,窓際。この席は,エアラインのフリークエントフライヤー,言ってみれば上級会員のみが無料で選べる席で,少しだけ前の席とのピッチが長く,しかもアルコールが無料で付いてくる。
私が贔屓にしているアメリカン航空は,国内線はアルコールは基本的に(そしてビジネスクラスを除き)有料なのだが,しかし,上級会員が優先して,しかも無料で選べるこの席は,アルコールが無料なのだ。
シカゴまでの帰路3時間,ワインでも飲みのんびり過ごそうと目論んでいた。
隣の席は,若い小柄な女性。従って座席のスペースも,自分の領域はしっかりと確保できる。

事件は,マイアミ空港を飛び立ち,そしてシートベルト着用サインが消えたところで起こった。隣の女性がおもむろにパソコンを取り出し,何かを始めた。
タイピングの音というのはとにかく耳障り。しかもその女性は,爪を長く,いや,なが~く伸ばしていたので,タイピングの音に,爪がキーボードを引っ掻く音も混じり,隣りにいた私は,頭が痛くなってきた。
そのため,丁寧に,「タイピング止めてもらえません?」と聞いたところ,「仕事なのよ~,ごめんなちゃいね~」(英語なのでこんな言葉ではないが,その人の語る雰囲気から敢えてこんな訳を当ててみた),と言われてしまった。
その後も続く耳障りな音。頭が痛くなりそれを振り払おうと頭を左右に振った時,ふと目線に入ったモニター。見えたのは,所狭しとモニターいっぱいに立ち上げられている複数のSNSの窓。たかだか3時間の,いや,パソコンが使えるのは離陸・着陸の時間以外だから,所詮2時間で,安くない金払ってネットに繋いでSNSやりたいのかよ。よしんば仕事だとしてもだ。100歩譲って本当に見積書を作っていたりしていれば,まだ我慢もできただろう。
私は殺意を覚えた。
なお,名誉のために言っておくが,私は中身を覗き込んだわけではない。見えてしまったのだ。それから,殺意は覚えただけで,実行はしていない。当たり前だ。

私は我慢ができなくなり,席を立ち,乗務員に席の変更をお願いした。
一応確認はした。タイプ音がうるさいから止めさせられないか?,と。
しかし,もし誰かが放歌していたなら止めさせられるが,パソコンの使用は問題ないから,タイプ音がうるさくても止められない,との由。
という事で,私の席はエコノミーの後ろから2列目に変更になり,そして当然ワインは付いてこない。
私はシカゴまでの残りの時間,怒りを抑えるので精一杯だった。頭の中では,下らんSNSなんぞが存在するからこんな事になるんだ,SNSなんて無くなっちまえ,と,SNSへの怒りがこだましていた。
そう,イーロンやザックにとっては全く以っての逆恨み。
しかし,確かに逆恨みではあるが,私の心は定まった。

シカゴ空港に到着し,降機した瞬間に晴れやかな気持ちになった。
「もうSNSは辞めよう」と。

これを読んで下さっている方には,機内で起こったことから,何故SNSを本当に辞めることになったのか,思考の繋がりが全く見えないかもしれない。
それも当然だ。なぜなら,単なる逆恨みだからだ。思考に繋がりなんて,これっぽっちも有るはずもない。
けれど,元々辞めるきっかけを探していたのだから,逆恨みだろうがなんだろうが,きっかけになればそれで良いのだ。

その夜アパートに帰った私は,「今日から離れます」という遺書を残して,SNSのアプリを携帯から削除した。

そしてそれから,私はSNSを見てはいない。SNSを見ないことでどうなったのかは,前回のnoteに認めている。

しかしだ,もしSNSを継続して閲覧していたのなら,恐らく久々にnoteを書こうなんて思わなかっただろうし,きっとこの書いている時間は,SNSに費やされていただろう。こんな文を書くことが有意な時間の使い方なのか,そもそも書いて何になるのだろうか,そんな事をふと思ったりもするが,それでもSNSを見るよりも,きっとずっと,自分に優しいのではないかと,思わないではいられない。

2023年10月23日記


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