不要不急とはいわないけど
明日から5月。
もう今年も3分の1終わってしまったことにおどろく。なにしたっけ。なんだかCOVID19のことばかりで毎日が過ぎていたような気がする。そんなことはないはずだが、あきらかに気を取られていたと思う。世間もこの世にはCOVID19以外の病気なんてないくらいに思ってしまっているのではないだろうか。感染症以外の病気なんて山ほどあって、この「家から出ない」生活によって病状が悪化している人もいるかもしれない。健康は急激につくれるものではない。だからダメージは大きい。早く正常に戻ってほしい。
多くの人が予測していたと思うが、自粛週間が延長しそうな気配だ。そりゃそうだ。こんなゆるい自粛で、感染拡大を抑えられるわけがない。緩さはそのままだらだらとのびる。連休を見越して3月から自粛や社会的距離や買い物の回数などをきっちりしていたら、今頃は終息とはいかなくてもすこしましな状況だったはず。もう、過去には戻れないけど。
この延長について、半数くらいの人は経済が回らないから反対、の様子。経済も命も大事である。しかし順番から言えば、命?しかしそうとも言い切れないか。わかっていることは、経済を回そうとして自粛を緩めた途端行動も当然ゆるくなって人の接触が増え、変化したウイルスがまた第2の波で広がっていくだろう。本当にどうなるのかわからない。
しかしどうしても気になることがある。「不要不急の外出」という言葉だ。以前にも書いたが「不要不急」というのがどうにもカンに触るというか。なんというか、わかりにくい。要するに
「生命維持に必要な最低限の外出」と
「どうしても在宅ではできない仕事で人が生きるために必要な仕事」
以外は外に出ないでください。と言われた方がわかりやすい。
「だから、わかるでしょ」的なのは日本らしいけれど、はっきり言わないと意味がないこともある。今回ははっきり言ってくれた方がいい。そして不要となんとなくされているいろいろなもの、たとえば芸術・娯楽関係に関しては、不要というのは適切でない。実際、音楽や美術館などのネット配信がこんなに見られているのはみんなが必要性を感じているからだ。これは不要ではない。ただ、生命維持には直接は関係がない。でも、遠回りすれば関係がある。不要ではない。言葉は選んだ方がいい。
世の中にはいろんな人がいる。理解度ももちろん違うし、理性や道徳観も違う。でも体のしくみは同じなので同じ病気になったりするのだから、同じ世に気をつけないといけないと病気になる。今回の感染症がやっかいなのは、感染した本人が苦しむ以外に、感染を自覚しないまま媒体して、させたらえらいことになる病気ということ。たとえば遊びに行くなと言っているのに郊外まで行って自分がバス移動中にうっかり罹って入院ならば自業自得だが、自覚症状がないまま出社して同僚に遷し、その同僚の親が感染して重篤になるということが十分ある病気なのが厄介である。きっとそうなったら一生心に引きずると思うけど、そんなことまで想像できない人が多いのもあってここまで広がったんだろう。都内の遊び場がどこも閉まってしまって郊外まで釣りに行ってしまった人も、釣りに行くのが必要と思ったのだから行ったのだろう。
だから不要不急という曖昧な言葉はやめた方がいい。ネットで調べたら情報もたくさんあるけど、ネットをみんなが見ているかといえばそんなことはない。ゲームしか見ない人もいるかもしれない。情報化社会とはいうが、見に行かなければふんだんな情報も浴びられない。さらに、選ぶ力がなければ意味がない。誰かの意見のあげ足を取って喜ぶ人がいるけれど、それはそれでそのひとのストレス解消なのかもしれない。気分は悪いがスルーすればいい。今は気分より命が優先。
たぶん外出自粛や営業自粛は5月いっぱいまでとなるだろう。台風なんかが来る前に普通に動けるようにしておかないと、もしライフラインが途絶えてしまったときまずい。手が洗えないし、集団生活などになったら大変だ。いろいろあるけどまずは感染を抑えないと。不要な外出ではなく、生命維持に最低限必要な外出以外の自粛を、揃ってピシッとやらないとだめだ。
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