僕のうつ病闘病記 #4 再度休職へと至ってしまった僕

前回は復職に至ったところまでを書いた。
今回はその続きである。

僕がなんとか復職できたのは2009年6月末のことであった。
改めて考えても本当に執念で復職したような感じで、ある程度落ち着いてはいたものの病気の状態は二の次だったように思う。
前回も書いたが休職前の生活に戻りたい、その一心だった。
復職当初は様子見の時短勤務(6時間)であったがその分給料も少なかったのですぐに産業医に掛け合ってフルタイム(8時間)に切り替えてもらうことにしたのだが、それが約15年前ということは僕も一応まだ30代だったし若かったのでそういうことができたのだろう。
ちょうど復職が会社の組織の改編時期に当たったため、元居た部署からすぐに出されなぜか僕の他に担当者がいないところに配属になった。
早速貧乏籤を引いてしまったわけなのだが居心地は意外と悪くはなかった。
それは自分の思い通りに仕事をコントロールできたのが大きかったと思う。
仕事は正直楽ではなかったし日によっては8:30に出勤して23:50の終電で帰るというブラックな働き方もしていたが、他人から干渉されることがあまりなかったのが僕にとってはよかったのだろう。

1度目の休職に至る前の僕は本当に会社のいいように使われていた。
役職が上がることを望んでいないのに勝手に決められた異動を僕が強引に蹴ったのが原因ではあるのだが、それから後は報復人事のような目に遭った。
全然知識も経験もなければ教えてくれる人もいないところに放り込まれすぐに結果を求められたり、さらに次の異動先では役職も何もない平社員の僕が人を吊るし上げなければいけないような責任の大きい仕事をさせられ、それが本当に辛かった。
しかし僕の性格的に他人に相談などもなかなかできず独りで病んでしまったのだ。
今考えると結局は復職後もいいようには使われていたのだと思うが、この時たまたまひとりで黙々とできる仕事に巡り合ったことは幸いだったのだろう。
上司には面談時に僕は病気なので無理はできません、と念押しもしていたのでしばらくは心の平穏をなんとか保ちつつ仕事する日々が続いた。

諸事情で復職から半年遅れて、念願であった楽団にも復帰できた。
だが、楽団の雰囲気がどこか変わってしまっているように感じた。
心から楽しく参加できなかったのだ。
組織というのは人が変われば状況も変わるものなのであろう。
人もまた時が経てば考え方も変わったりもする。
様々な要因で僕が辞めた時とはいろいろ違ってしまっていたと思う。
それは致し方ないことだ。
それでも僕は6年ほど続けてみたが、限界を感じて再度退団した。
あんなに楽しくて仕方なかったことがいつの間にか苦行のようになってしまっていた。
その後は縁あってお手伝いとして呼んでいただけた他の楽団で年に1~2回本番に乗ることはあったがいつしかそれも終わり、ここ3年近くは楽器のケースすら開けていない。
自分で楽器を演奏することへのモチベーションが今はすっかりなくなってしまった。
この件もいつかはわからないが別に記事にできそうかなと思っている。

楽団を退団するちょっと前に僕は初めての勤務地(支店)変更を伴う異動を経験した(厳密には支店ではないのだがここでは身バレ防止とわかりやすさのため支店とする)。
それまでは同じ支店の中での異動のみであったので周りの人が全員知らない人になるのは社会人としては初めての経験となったが、環境に慣れるまで多少時間はかかったものの前の支店より規模も小さく時間がゆっくり穏やかに流れている雰囲気でこれはこれも悪くないなと思っていた。
ただ、通勤に1時間半かかるのは難点であった。
バスに2回乗るので時間が読めない時もあり、最終的には車通勤にしたのだがそれでも約1時間かかった。
その頃は職場のホワイト化が進んでいたこともあり帰りが夜遅くになることはほぼなかったがその分を通勤に取られている気分だった。

そんな中いろいろありながらもなんとか仕事はやっていたのだが、突然大きな変化が訪れることになった。
隣の支店と統合することになったのである。
支店の統合は全国でも数少ない事案でもちろん支社管内では初のことだったのだが、規模の小さな支店でゆっくり穏やかに過ごしたかった僕には悪い知らせでしかなかった。
案の定、受け入れ側となる僕の支店の準備がそれはもうべらぼうに大変だった。
前例のない仕事なのですべてが手探りだというのに上司たちはこれを成功させれば自分たちの栄転が待っているのでとにかく張り切っていて、僕たちに時間のない中無理難題を次々と押し付けてきた。
やってもやっても仕事は減らず、ホワイト化が進んでいたにもかかわらず残業の嵐で三六協定目一杯まで働いた。
忙しい影響からか人間関係にも少なからず摩擦が起きてしまい、僕は他人の見たくなかった面をたくさん見てしまうこととなった。
復職以来ずっと上司が変わっても僕は病気なので無理はできない旨を伝えていたのだが、この時ばかりはそうも言ってられない状態になっていた。
僕は身体的にも精神的にも明らかに無理をしてしまっていた。
知らず知らずのうちに出勤の足取りが重くなっていき、作業効率も明らかに落ちていった。

そんな中なんとか統合は終わり、支店内は上手くいったという空気に包まれていたがたぶん僕だけはそこから取り残されていた。
僕は満身創痍なのに統合は成功とはいかなることかと思ってしまったのだ。
僕の身体と精神は統合後1週間が限界であった。
久しぶりに週末2日しっかり休めたと思ったその翌日、駐車場に着いた僕は車から降りられなくなってしまったのだ。
さすがに2度目なのでそこで僕はすべてを察した。
忙しすぎて自分のことなど考える時間も余裕もなかったが、これはうつ病の仕業である、と。
上司に体調不良で休む旨を連絡し、その日のうちに主治医に指示を仰いだ。
そこで2度目の休養のための診断書を受け取ることになったのである。
翌日それを上司に報告して郵送で診断書を送り、僕は2度目の休職期間に入ることとなった。
これが2019年2月の出来事である。

長々と綴ってきたがようやく次くらいで終われそうである。

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