僕はゲイとして生きることにした
前の記事で、ゲイを自認したことで僕の結婚や子供という夢が崩れ去ったという話をした。
思っていたよりもその影響は大きく、その時決まっていた就職内定先(某地方新聞社)を蹴り大学を2年留年することとなった。
ちなみに先に部活に集中し過ぎて1年留年しているので、合計3年も留年してしまったことになる。
そんな僕は一時は大学卒業も諦めてしまい母に頼むから卒業だけはと泣きつかれた程の親不孝者なのであるが、当時の僕は将来の夢が全て崩れ去った気がしてもうどうしていいのかわからなくなってしまったのだと思う。
社会に出る前に自分はこの先どう生きたらいいのかを考え直す時間が欲しかったのかもしれない。
それと同時に、それまでまったく経験してこなかったゲイの世界をいろいろ知りたいとも思っていたはずだ。
こうして僕のゲイとして生きる人生は始まった。
僕にゲイということを自認させてくれた人にはその後二度と会っていない。
なので、当然次の出会いを探すこととなる。
今はマッチングアプリ等を使えばスマホ上で簡単に出会いが見つかる時代であるが、当時はもちろんそうはいかなかった。
伝言ダイヤルで失敗した(と言ったら相手に失礼かもしれないが)僕は同じことを繰り返したくはなかったので、まずはゲイについての情報を得る必要があったのだが、そのためには「ゲイ雑誌を買う」必要があった。
今ではもうゲイ雑誌は存在すらしないとを思うと本当に隔世の感しかないのであるが、このハードルがまず高かった。
限られた書店にさりげなく置かれたゲイ雑誌を絶対に他の人に気づかれないように手に取り、レジに出し、会計してもらう。
レジの店員にはもちろんゲイ雑誌を買うことがバレてしまうのだがそこを乗り越えなければ手に入らないのだ。
レジにいるのがそんなことを意に介さないであろうおばちゃん店員(これは偏見かもしれない)であることを祈りつつ僕は書店に入り、勇気を振り絞ってようやくゲイ雑誌を購入した。
そんな高いハードルを乗り越えて購入したゲイ雑誌は、間違いなく僕を見たこともない新たな世界に連れて行ってくれた。
それぐらいの感動があった。
僕以外にもゲイの人はこの世にたくさん存在するということを知れたからである。
僕にはずっと孤独感があったのだと思う。
他の人には言えない何かをずっと持っていた。
それが何かもまったくわかってはいなかったが、そのうちのひとつが自分がゲイであることであったのだろう。
その時には他にも要素があるとは考えていなかったが、ゲイを自認したことである種の解放感が得られたしそれがかなり大きかったので当時の僕にはそれ以上は考えられなかった。
ただ、それでも孤独感が消えなかった僕がようやく全貌が見えるようになったのはつい最近のことである。
ゲイ雑誌を手に入れた僕はゲイの人と出会う術を知った。
当時の出会いの方法としては
・ハッテン場に出向く
・ゲイバーに行く
・雑誌の文通欄に載せて便りを待つ
おそらくこんな程度である。
ハッテン場、というと有料のところを想像するかもしれないがそれだけではない。
もちろんそれもひとつの選択肢として当時から存在していたが、それとは別に誰が決めたかわからないが秘密裏にゲイが集まる公園や銭湯などが存在していた。
今も存在としては引き継がれてはいるものの当時とはかなり性格が異なるものとなっていると思う。
昔のゲイが集まる公園や銭湯などという場所はあくまでも出会いのきっかけの場であり、行為をする場所ではなかった。
その場で出会っても、基本的には行為する場は別(それぞれの家やホテルなど)であった。
今はどうやらその場で行為をするシチュエーションプレイ(野外など)的な場になってしまっている気がするのだが、当時は決してそうではなかったのだ。
言い換えると、ゲイ以外の人に気づかれないように出会える場所だったのが今ではスリルを味わう場所に変わってしまったような印象を僕は持っている。
今でもマイノリティであるゲイの肩身がより狭くなってしまうような行為はしない方がいいのではないかと僕は思う。
話が脱線してしまったので元に戻そう。
結論から言うと、僕はたぶんすべての方法を試してみた。
ただ、ゲイバーは僕の性には合わなかった。
初めて行った店でいきなり「あらあんた、この街では売れない顔ね」と先制パンチを喰らった影響もあってか、その後できた友達と何度か行ってみても雰囲気にどうにも馴染めなかった。
文通欄、というのは久しぶりに思い出すと懐かしいのだが残念ながらこれも出会いにはなかなか繋がらなかった。
でも旅行で僕の住む街に来ていた人とたまたま出会ってのちに再会を果たした時には役に立ってくれたし(その人とは今でもつながりがある)、時代を感じるがいいツールであったとは思う。
なのでやはり直接顔を合わせることのできるハッテン場に行くのが僕的には一番出会える可能性が高かった。
そうやっていろいろなゲイの人と出会いを重ね、いろいろな経験をした。
ここでは詳細は割愛するが、印象深いエピソードはもしかしたら改めて文章にすることもあるかもしれない。
ゲイとしての経験をある程度積んだうえで僕は自分の将来について考えた。
その結果僕が出した答えは
・仕事は最低限、出世なんてしなくても自分ひとりが生きていけるだけ稼いでいければいい
・趣味(吹奏楽・旅行)など、自分のしたいことを存分に満喫しよう
というものであった。
そのうえで見合った仕事を選び、遅ればせながら就職した。
この将来像自体は悪くなかったと僕は思っている。
ただ、他ならぬ僕自身のせいでその道が頓挫することになるとは想像もしていなかった。
その見通しをこの時点の僕にはできなかったと思うので仕方がない。
僕はゲイに生まれてよかったと思っている。
おそらく最初に夢描いていた人生では見たり感じたりできない世界を知れたのだ、マイノリティならではである、と。
現代社会においてマイノリティに属していることはあまり幸福とは言えないのかもしれない。
それでも今の僕にとっては日向ではなく陽に当たらない社会の影の方が居心地が良いのだ。
このままひっそりと暮らしていきたい。