僕のうつ病闘病記 #1 僕が休職するに至るまで
心の病、というのはつくづく難しいものだと僕は思う。
なにしろ目に見えないのだ。
他の人との比較もできなければ、他の人が僕を見てすべてを理解してもらえるということもない。
本当に自分自身との孤独な戦いなのである。
これから僕のうつ病との闘いについて少しずつ書いていこうと思うが、あくまで「僕の場合」であるので他のうつ病で苦しんでいる方とはおそらく異なることも多いだろう。
要因も状況も人それぞれであるという点をご理解いただければ幸いである。
僕がうつ病であることを自認するまでには2年ほどかかった。
最初の自覚症状は2004年春頃、疲れが酷いことと原因不明の胸痛であった。
どれくらい疲れが酷いのかということにも個人差があるのと、僕は我慢強い性格であるのが重なってかなり無理をしていたようだ。
当時親しくしていた友人に絶対におかしいから病院に行った方がいいと強く説得され、僕は重い腰を上げてようやく内科を受診した。
そこで言われたのはなんと「肝炎」であった。
血液検査の結果、肝臓の数値がかなり悪く即入院レベルだったので僕は翌日から入院することとなった。
入院期間は意外と長く約1か月、さらに半月ほど自宅療養してから職場復帰したため1か月半ほどの病気休暇となった。
割としっかり休めて疲れに関してはほぼ解消されたので、そこではそれ以上の可能性は考えられなかった。
職場復帰してしばらくするとまた謎の胸痛に襲われるようになった。
左右のあばら骨の付け根というかちょうど胸の中心の縦の骨がシクシク痛むのである。
耐えられないほどではないものの、気になる痛みだった。
無理をした結果肝炎を悪化させてしまった僕は今度は自主的に病院に行ったのだが、いろいろな病院、いろいろな診療科で様々検査等も受けた結果どこにも異常は見られないとのことだった。
ついには「どこにも異常はありません、あなたは健康です!」と言い切られてしまい、こんなに痛むのに健康とは?と思ってしまった。
そうこうしているうちに別の異変も現れた。
職場に行けなくなってしまったのだ。
通勤中にとある交差点まで行くと何故か吐き気をもよおすようになってしまった。
最初のうちはそれでもなんとか我慢して職場まで辿り着いていた。
職場に着いてさえしまえば一応仕事はできたからだ。
ただ、吐き気は日に日に強くなりついに我慢できずに休んでしまった。
それ以降行ける日と行けない日の差が激しくなり、行ける日と行けない日の比率も変わっていった。
上司もさすがに僕の様子がおかしいことに気づいたようである日面談を受けることになったのだが、その時は調子が悪いなら来れる日だけ来ればいいという話で終わった。
当時はまだまだ心の病気に関する認知度も理解も低かったうえに、なにしろ僕自身が自認していなかったのだから仕方がなかったし、むしろ当時の僕にはそれがすごく優しい言葉のように感じた。
その反面、職場に行けない日は増える一方であった。
その頃にはインターネットは普及していたので、僕は自分なりにいろいろ調べてみたところ最終的に「うつ病」という言葉に行き当たった。
ただ当時の僕は周りの皆から嫌われないように今で言う陽キャをずっと演じていたこともあってうつ病というものは自分とは縁遠い印象を持っていたし、うつ病というのは心の弱い人がなる病気だという否定的な印象が強かったために自分ではなかなかそれを受け入れることができなかった。
しかし一度は解消していた疲れやすさも復活していた(とはいえ肝炎の時ほどではなかったので我慢できていた)し、睡眠の質も悪化していた。
吐き気の件といい、自分の不調について調べた結果はうつ病そのものでしかなかったので僕はようやく心療内科に行く決心をした。
僕は仕事終わりに行ける心療内科を探してなんとか予約を入れ、受診した。
20時過ぎから始まった診察がすべて終わったのは23時近かった。
そこで医師から告げられたのは予想通り「うつ病」との診断であった。
医師はすぐにでも仕事を休んだ方がいいと言ったのだが、僕は上司と相談して決めることを選んだ。
診断が下ったとき、正直僕はほっとしていた。
やっぱり正常な状態ではなかったのだ、やっと病気の正体が分かったという意味での安堵である。
しかし当時の心の病気に関する印象が良いものではなかったためにそれで仕事を休んでしまうことへの後ろめたさも強く、すぐに仕事を休むという決断がひとりではできなかったのだと思う。
翌日、上司に診断書を見せ相談した。
そこでの上司の回答も前回と似たもので、長期で休むと復帰が難しくなるのでそれは避けて来れる時だけでも来た方が良いということであった。
僕もそれで納得はしたものの、休んだからといって僕の仕事を誰かが代わってくれるわけでもなく溜まる一方だったし、その頃にはさすがに周りの見る目も気になっていた。
有休を上手く使って休めとは言われたが行けない日が増えるのに比例して有休は減るばかりだったので不安が募るばかりであった。
2週間後再度受診した僕はその経緯を医師に伝えた。
医師はあなたがそう決めたのなら仕方がありませんねとしたうえで、必要であれば休養が必要な旨の診断書はいつでも書くと言ってくれた。
しかしさらに2週間後には僕はもうほとんど職場に行けなくなってしまっていた。
そこでようやく休養のための診断書を書いてもらい、上司に提出した。
上司は最後まで休養に否定的であったが当時の僕は限界を迎えていた。
とにかく僕は思う存分休んでもいい、というお墨付きが欲しかったのだ。
かくして僕の1回目の休職が始まった。
これが2006年3月の話である。
こうして思い返してみると今とは随分社会的に状況が違うことに改めて驚かされる。
それぐらい社会的にも僕個人としても病気に対する知識も理解もなかった。
インターネットが普及していたとはいっても今のような情報社会ではなかったのである。
最初を肝炎の話から始めたが、今振り返ると結局肝炎ではあったものの胸痛のことも含めおそらくそれと同時期にうつ病の症状としても出ていたのだろうと僕は思っている。
たまたまちょうどいいタイミングで入院、自宅療養ができたので一旦軽快したのではないかと推察している。
この話の続きはなかなか長くなってしまいそうである。