Tableau/絵画
キャンバス が、好きだ。
初めて自分が絵を好きだと感じたのはいつだっただろう。幼稚園児の時の消防車や救急車写生コンクールの時だっただろうか。何やらその時に賞状をもらったことを覚えている。小さな頃は誰だってお絵かきはわりと好きだ。しかし、成長するにつれ他のスポーツや習い事が好きになったり、自分と周りを比べて嫌になったり、心ない大人の人ことで傷ついてえがくことから離れてしまう。例によって私も水泳、習字、日本舞踊と習い事をしていたが、描くことはずっと好きだったし、家で捨てられそうな段ボールやティッシュ箱を救出してはぬいぐるみの家を作っていた。
10歳になる頃、幼なじみと紙芝居を作ったり、PCを使って一緒に絵を描いてホームページを作って遊んでいた。
中学に入る頃になると、「自分は絵を描くことが好きなんだ」と自覚するようになった。
絵画予備校へ通うのはごく自然な流れだったように思う。
デッサンを描いたけれど、描写力はそう上がらなかったし、飽きっぽいので写実力を練磨することにあまり意味を見出せなかった。空間や立体というよりは、画面の中での表現に惹かれたので、油絵学科を目指すことにした。
木枠を組んで、布を張る。絵具を油で溶いて描くという行為自体が特別感があってなんだか神聖な気持ちになった。水彩やアクリルガッシュ、ポスターカラーとは全く違った感覚だった。混色することで生まれる美しさ、濁っても上から重ねていくことで見えてくるものがたくさんあって、全ての手数が無駄ではないように思えた。
大学に入ってからも少しだけ油絵を描いたが、自分がなぜ木枠を組みキャンバスを選んで描かなければいけないのか、「好き」ということ以外の理由を見つけられなかった。その後、しばらくその意味がもう少し自分の中で昇華できるまで離れてみようと決めた。描くことから離れるのはとても怖かった。自分がどうなってしまうのか分からなかったからだ。
学生生活は東京で過ごしたが、社会人になってから地元に帰ってきた。改めて、自分の生まれ育ったルーツや、出身地の歴史について思いを馳せる。
海と繊維の町。
自宅で制作したけれど、もっと広い場所で作りたくなって、海沿いのアパートをアトリエにした。毎日海を眺めていた。気が向いたら海岸を散歩する。寂れていく漁港や桟橋にとまる漁船を見て、かつて真っ白の布で風をきって海を渡り、遠く離れた国々から命がけで人は旅をしたんだ。流れつく流木を見た。知らない言語で書かれた文字の印字されたビニールをみた。欠けた食器の破片をみた。
そうか、この白い布は、海を渡っていける。この白い布で、誰かに何かを届けられるものがあるかもしれない。
海岸ので風を浴びながらひらめた。
この土地で作られた帆布。
様々なものをつないできた海。
私にもできるだろうか。
描くことを通して、このキャンバスで、色を使って、見えてくる形で、見えた世界の重なりを可視化させていきたい。
色彩の重なりを身体性を感じながら、鮮度を持って閉じ込めていきたい。
絵画は、私にとってミクロな関係性やそれぞれのストーリーを描くツールだ。それから、ドローイングなどを通して抽象的なインスピレーションや、まだ不完全な状態の思考を可視化させることができる。自分が発した色や形を通して客観視できる。離れようとも離れられない自分へなはば呆れなが、こっそり嬉しく思う。そうして、続けてきたからこそ見えてきた様々な世界もあった。また、絵画を描くことは祈祷にも近く、自身の表現したいという欲だけでは続けられないことが最近わかってきた。もちろん、ベースには自己顕示欲が間違いなくなるので評価されたい、認められたい、見て欲しい気持ちは幼い頃からあった。けれど、この世界にある普遍性に対してアプローチしていくという現代アートの一つの考え方がとてもしっくりくる。まだまだ足りない点や、気づいてない点も未熟な部分もたくさんあるけれど、この白い布と一緒に調和しながらどこまでいけるのか、楽しみだ。