ドット絵 ナチ卐デザインの恋と愛
もしゃもしゃ(緩衝材)
とんでもないユダヤ人差別と大量虐殺(ホロコースト)を行なったことで知られるナチス・ドイツは、世界のほとんどの地域で明確な「悪」として非難の対象になっています。
ナチ・ダメ絶対! は確かです。とはいえ、今まさにパレスチナ・ガザを滅ぼそうとしているイスラエルのように、かつてユダヤ人が迫害されたことを盾にして、敵対勢力に「反ユダヤ」のレッテルを貼り、非道の限りを尽くすことだってダメ絶対です。
そもそもナチス・ドイツの所業についても、根本にある問題は経済的・社会的不満があると人々は排外的になることや、そういった負の意識を煽られてポピュリズムが蔓延することで……
ああっ緩衝材が足りない!
テーマ的に「おかたい」話になるので緩衝材として「もしゃもしゃ」を敷いてみたのですが、ちょっと無理がありましたね。長い前置きは避けて、「巻き」でいきましょう。
え、「巻き」は鉤十字"卐"のことだろうって? そういうのやめてください!
「ホロコースト」のよう悲惨な出来事に目を奪われるあまり、根本・源流にある原因を見逃すことはよくあることです。一方で「ナチ」の行ないに対する批判・非難は、もっとずっと表面的な部分に及びがちです。
かつて、日本の地図記号「寺院=卍」がナチス・ドイツ国旗のハーケンクロイツ(卐=鉤十字)に似ているからダメだと批判されたり、もっと以前には『美少女戦士セーラームーンSS』の「SS」の部分がSとSを合わせた記号としての"卐"あるいはナチス親衛隊(Schutzstaffel)のエンブレムを想起させるとの批判を受けて、「SuperS」に改題されたこともありました。
そういった批判をすること自体は自由ですし、批判された側が世間体を気にしたり商業的な都合で受け入れることも尊重されるべきでしょう。
とはいえ、やはり違和感を覚えざるをえないのです。大切なのはそこじゃない、と。今回はそんなもしゃもしゃです。
ナチデザイン
「ハーケンクロイツ」は単に鉤十字としての記号"卐"だけでなく、それが赤い背景・白い円のなかに入っているデザインを呼ぶことがあるそうです。
でも、ぼくはこの「赤背景に白い円、そのなかに黒の記号」というデザイン自体は機能性が高い、良いものだと思います。
世間でもまあまあ使われており、「たばこ」の昇り、「アリナミン」といった例が身近にあります。
これらのデザイン自体は物議を醸したりはしていないようですが、とはいえあまりにもナチの印象が強いため、ぼくは心のなかでこれを「ナチデザイン」と呼んでいます。
デザインの基礎として
デザインの基本中の基本として、「大切な要素・目立たせたい部分はコントラスト(明暗差)をより強くする」という考えがあります。最も明るい「白」と最も暗い「黒」を使って対比させるのが"コントラスト最大"の状態ですから、「白地に黒」が最良です。
ただ、これ「紙にペンで書いた状態」と変わらないため、一般的にはシンプルすぎて「地味」だと感じられてしまいます。派手! 目立つ! と言えば赤青黄色……というイメージがありますからね。
「白黒」だけでは遠目に見たときに目を引かず、相対的に目立たないという欠点があるのです。
そこで、際立たせたい「白黒ゾーン」は維持しつつも、その周囲には赤や青など派手な色を配置して目を引くと、こうなります。
ナチデザインとは異なりますが、「オタフクソース」も同じ効果を活かしたすばらしいデザインです。
デザインの愛と恋
デザインを主体に見直してみましょう。デザイン側から見た視点になるので、わかりやすく"擬人化"してみましょうか。
こんにちは、お名前は?
「ナチッス!」
ダメダメ、普通にやります。
①まず、派手派手な赤で注目を集めて……
②視線を向けた相手に、中央の"白黒ゾーン"にある情報=鉤十字"卐"を強く印象付けます。
デザインにも、時間の流れがあるわけですね。「今だけ」ではないんです。
そしてこれは、恋愛に似ています。
まだ話したこともない憧れの人がいたり、交流はあっても縁遠い人に対して「気を引きたい」と思っているのが「恋」の段階。相手を身近に引き寄せたいという衝動、それが「恋」の正体です。
オシャレをしたり、目立つことをしてみたり、相手の興味関心がわかったら話をあわせてみたり、などなど。ナチデザインの赤はこのような「恋」の段階で大きな役割を果たします。
一方「恋」の段階で、「キミのそういうところが好きだ」とか「俺は一生キミを離さない」とか「キミに良く似た子どもを3人はほしい」とか言うのは重いというかキモイというか怖いだけですよね。
そういう、ちょっと濃ゆい"自分"については、あとまわし。相手の関心を引くことができて、より親密な関係になっていく過程で、相手を尊重し、大切にするための「愛」の段階で徐々に見せていくものでしょう。
時には「合わない」と感じてお別れすることもあるでしょうけど、「恋」を「愛」に変えていくには大切な過程です。長く近くいようとすれば、ごまかしは効きませんから、いずれは"白黒ハッキリ"させていく必要があるのです。なんてね。
ナチス・ドイツのヒトラーは、世界恐慌の影響下で喘ぐ国民に甘言を囁き、憎悪をかきたて、醜くも強いポピュリズムによって国民の支持を集めて強権を獲得しました。その過程はドイツ国民にとっての「恋」の時期であり、隣国への侵攻やユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)はヒトラーによる「愛」の営みだったのかもしれません。
記号・図形としての鉤十字"卐"だけでなく、赤い背景も含めたナチデザインとしてのハーケンクロイツを見ると、そこにはナチス・ドイツの短い恋の季節の記憶が刻まれているように思えます。
源流
ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害はその民族主義の一部でしかなく、根本には"諸文明の祖"としてのアーリア人を「支配民族」だとする思想がありました。ただしナチスが信じた「神話」としてのアーリア人は、事実と異なる歪んだ虚像でした。
ヒトラーは『我が闘争』のなかで、アーリア人を唯一の「文化創造者」と呼びましたが、本当でしょうか?
実際のアーリア人はインド・ヨーロッパ語族に属する民族の祖とされ、元はインド~中央アジアからイラン等の周辺地域へ広まっていったと考えられています。そのため、アーリア人の系譜に当たる民族が多く暮らすインドでは、日本を含むいわゆる西側社会のようにはナチスをタブー視していないそうです。
また、日本で使われる「卍」(まんじ)も元はインドのヒンドゥー教を起源とする図形です。ナチス以前からドイツ民族主義の象徴として用いられた鉤十字"卐"にはアーリア人の象徴としての認識があったため、「卍」(まんじ)と同起源と見なされます。
とはいえインドは世界四大文明のうちインダス文明が生じた地域ですから、そこから人や文化が広がっていくのは当然のこと。遥か後の世において"悪者"がその図形を用いたからといって、同じ源流を持つ似た図形をもタブー視するのは無理があります。
ただし先史文明はインダス文明だけではなく、実際、卍や卐、その原型となったとされる図形は長い人類の歴史のなかで世界各地に生じ、使われてきました。日本の島津家の家紋も下図・左の「太陽十字」に近いものです。
こうした歴史的経緯を無視して似た記号や図形に同一の意味を見い出し、ひとまとめに殺そうとする振る舞いは、ナチス・ドイツと変わりません。
デザインが「今だけ」の瞬間的なものではないことを意識したついでに、歴史の流れに目を向けることができれば、白黒だけがハッキリした"異常な愛情"に惑わされずに済むかもしれませんね。
もしゃもしゃ。
(おしまい)