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【ジョーカー2感想】本当のジョーカーはだれか?

こんにちは。穂積です。
先日今話題の「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」観てきました。

話題というか、賛否両論というか、否の意見が多いというか。
鑑賞前からやや心配だったのですが、元々バッドマン好きでジョーカーというヒールももれなくファンなのでここはジョーカーのキャラクター性を信じるぞ…!と祈るような気持ちで観にいきました。

せっかくなので感想を綴ってみようと思います。

さて結論から言うと、個人的には嫌いじゃないストーリーでした。
嫌いじゃない、なのでハマったかというとちょっと違いますが。

ジョーカーというキャラクターは言わずと知れたDCコミック「バッドマン」に登場する悪役です。
原作のDCコミックではサイコパス的で非道な犯罪を楽しむキャラクターです。(アニメ版だといわゆるコソ泥的な小物感のある悪役として描かれているようですが)

前作「ジョーカー」はそんなキャラクターがどうして誕生したのか、時系列で言うとバッドマンの前日譚を描く内容でした。

でも今回の「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」(以下ジョーカー2)を観ると、トッド・フィリップス監督のジョーカーはDCコミックとは別物と考えた方がいいかなと思いました。

前作も時系列としてジョーカー生誕に位置付けできるし、しかも幼少期のブルース・ウェイン(バッドマンの正体)も登場するし、で、どうしたってDCコミックのあのジョーカーを念頭に観た人は多いんじゃないでしょうか。

私も当初はそのつもりで見ていましたが、でもそれにしては映画内のジョーカーって「人間味」がありすぎたんですよね。

貧困・障害(と思われる特徴)・差別から社会的弱者におかれるアーサーがいかに犯罪者になるかと言うストーリーであって、彼がDCコミックのジョーカー的なサイコパス性は(少なくともまだ)表現されきれてないなと思ったんです。

サイコパスって常人からかけ離れているからこそキャラクターとして面白みがあるわけで、映画のジョーカーのようにあくまでも社会から淘汰され踏み躙られてきたことを動機に報復かのような殺人を犯すのは、サイコパスほどの狂気はないと感じました。

じゃあジョーカー2はどうかと言うと、割と世間一般の期待ってジョーカーのサイコパス性が花開く展開だったんじゃないかなと。前作がゴッサムシティを混乱に陥れて終わったので、続編はジョーカーがやりたい放題という期待も映画の流れとしては連想しやすいですよね。

ところが実際のジョーカー2は…うん(笑)
レディー・ガガと一緒にミュージカルするとは予想してなかったし、アーサー=ジョーカーの物語として見ると多分「は?」ってなると思います。私も結構そう思ってた。

でもあれをジョーカーの狂気の部分が一人歩きして伝播していく物語だと見ると…前作よりもサイコパスなストーリーかもしれないです。

例えばレディー・ガガ扮するリーですが、彼女は一体どこまで本当のことを話してたんでしょうね。そしてアーサーを引き込んでいく姿はむしろ表現がミュージカルで良かったんじゃないかというくらい意外とエグいと思います。女慣れしていないアーサーをジョーカーに引き戻そうとせんばかりのアプローチ…それこそ彼女が一番常人からかけ離れてた気がする(というかリーの存在そのものは実在するのかという議論も面白そうです)。

ジョーカーに影響されてピエロの格好をしたりデモに参加するゴッサムシティの人々は、ジョーカーがただの社会的弱者であるアーサーの顔を見せるや否や手のひらを返したように紛糾する。

アーサーが生み出したはずのジョーカーという狂気はもはやアーサー自身の手に負えなくなっていたのではないでしょうか(だからこその青のラストとも言えます)。

そしてもう一人、誰よりもジョーカーだと感じたのは監督です(笑)。

前作であれだけ世間を賑わせたのに、ジョーカー2で狂気の伝播という表現をするためにミュージカルを選べるそのセンス…そしてあの展開、ラスト…

色んな意味で観客の期待を豪快に裏切れる手腕からして、一番サイコパスなのは監督なんじゃないでしょうか。

というわけで今日はこのあたりで。

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