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二月の冬の日のちょうちょ


 つぎにちょうちょが死んでたらちゃんとお墓を作ろうと決めていた。なんという制約を自分に課してしまったんだろう。のちに後悔することになる。
 二月の土曜日、カフェへ行こうと外へ出たら(八時のモーニングへ行こうか迷って延ばして延ばした挙句、午後二時過ぎに出かけた)
 最初の門を曲がって少し歩いた道端にちょうちょが死んでいた。
 鮮やかな黄色いと黒と赤のアゲハチョウだ。この二月に?信じられなかった。
 だから最初は、おもちゃもしくはいつの日かと同じようにシールだと思った。でも違った。
 腹には毛が生えていたし、目も本物だった。蜜を吸うくるくるとした口もちゃんとあった。
 ちょうちょは死んでいた。
 死んだちょうちょは、怖かった。
 でもわたしは、あの夏の日に、しんだ蝶々をそのままにしたという自責の念があったから、次はちゃんと、遅刻してでもお墓を作ってあげようと決めたのだ。
 そして今日は時間の制約はない。カフェでのんびりしようと思っていただけだ。
 それなのに、突然怖くなって、通り過ぎた。が、数メートル先でやはり引き返した。制約のせいだ。
 民家の手前、車もギリギリ停まっている。その脇のブロックの影にそっと隠れるように、ちょうちょは息絶えていた。
 でもでも、まだ生きているのではないか?もし触ったら途端に羽ばたいたら心臓がもげる。そう思って、近くにあった松の葉をツンツンとしてみた。しゃがんでつんつんしてる姿は、ペンギン村のロボットの女の子のようだと思った。
 逃げない。びくともしない。やはり死んでいるようだ。わたしはカバンの中に入っていた残り一枚のティッシュを取り出して、ふぁさっと被せて、つまもうとした。が、つまめない。アスファルトに脚の繊維がくっついているのか。なかなか取れなかった。心臓が波打つ。
 しかもアスファルトだらけのこの町でどこにお墓をつくればいいのだ。アパートの下の土のところか?階段の下の。だめだ、車が止まっている。
 近所の公園がいいかもしれない。
 なんにせよ、明るいうちは目立つから、夕方の薄暗い時にやろう。
 ティッシュに包まれたアゲハチョウは、そのまま家に連れて戻り、わたしは心臓を落ち着かせるため、もう一度カフェへ向かった。
 ごめん、カフェというよりマクドナルド。ハッピーセットがポケモンだった。赤と黄色と黒。なんとピカチュウはアゲハチョウと同じ色合い。ダイエットコーラを吸いながら、机の上に置いてきたちょうちょが頭によぎる。

 そうして、一ヶ月が過ぎた。どこにも埋められず、ずっと机の上で、一緒に過ごしている。死んだアゲハチョウ、もう怖くなかった。ふぁさティッシュはなくなり、ご飯を食べる時もアマプラで映画をみるときも、一緒。

「ここのところ暖かかったから出てきちゃったんだよ」
 そうか、お前は生まれたばかりでもう死んだのか。

 春がきた! 春がきたよと 舞いはじめ 
 死にたり蝶を そっとつつんで

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