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嫌うこと、愛すること。
「何かを嫌いだと思う自分が嫌だから」
と言った人がいた。
共感できたが、仕方ないんじゃない?と思う私もいた。
嫌いなものを嫌うこと、それを嫌う。
それが嫌で向き合う。
そんな考えもあるんだなと思ったその夜。
穂崎です。
昨日、私は演劇部での活動を終えたあと先輩や後輩と喋ってました。
大学でやる部活というのは、高校よりも個性派が集まるなと思います。
それもそのはず、大学ってところ自体が色々な人を集めてるから。
近くから通う人もいれば、地方からひとり暮らしをして通ってる人もいる。生きてきた環境が、得てきたものが、経験が違うから、そりゃいろいろな人がいるわって感じです。
それに加えて演劇をやる人ってしたら個性派ばかりが揃います(笑)
話を戻しますね。
今日は、そんな中でも哲学科の後輩の話をしたいと思います。
「倫理の授業が嫌いだったんです」
大学を選ぶ時、学部学科を選ぶ時って、必ず理由があると思うんです。本が好きだから文学部とか、医療系の仕事に就きたいから医学部とか。
けど、哲学科ってどうやったらたどり着くんだろうって、私はわからなくて。
だから聞いてみたんです。
「なんで哲学科に来たの?」って。
そしたら、ひとりの後輩から
「嫌いだったからです」と返ってきました。
そこから更に掘り下げて聞いてみると、面白い言葉が返ってきたのです。
「高校の倫理の授業が嫌いだったんです」
「何かを嫌いだと思う自分が嫌だから」
嫌いだからとその道に進み考える後輩。
恋愛の話になった時も、「自分はみんなが好きだから」とはぐらかしとかではなく本気で返してきた後輩。
すべてを愛していようと、愛していたいと、そう思ってるように見えました。
まずは自分を愛するところから
人やものを愛していたいと思う前に、私は自分を愛するところから始めないといけないんじゃないかと思います。
みんながみんな、さっき書いた後輩みたいにすべてを愛していようと思える人ばかりじゃない。
誰にだって合う合わないはあるし、好きな人もいれば嫌いな人だっている。
私は基本、仲がいい人と一緒にいる。
けどそれは私が一方的に思ってるだけで、向こうはそんなこと1ミリも思ってないかもしれない。
すべての人に愛されたいとは思わない。
本当の自分じゃそれはできないから。
必ずどこか仮面を被ることになるから。
本当の自分を愛せるのって、一番愛せるのって、自分自身なんじゃないのかな。
そう思うんです。
自分で自分を愛する。
それが出来て、はじめて人に愛を向けられるんじゃないかなって思います。わからないけど。
愛し方、もっともっと考えたいです。
誰かを愛するということ、自分を愛するということ。
知見を広げたいと思いました。
それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。