やってみた|転んでもただでは起きずに、知覚の速度を書いてみた
わたしは焦っていた。大幅な遅刻である。意識は不機嫌になっているであろうその先で待つ人に向いていた。
そして、駐車場から庭へ入る石段でつまずいた。
「あっ」
その瞬間、流れる時の速度が変わった。
人が危険に遭遇したときスローモーションのように感じることを『タキサイキア現象』というらしい。タキサイキアって何?と、AIに相談したところ、時間ではなく知覚の速度が変わるという考え方から生まれた言葉のようだ。
ならば、せっかく転んだのだから、転んでもただでは起きないぞ、と思い立つ。『石段でつまずいて転んだ』の11文字が、あの時の知覚の速度を再現したら、はたして何文字の文章になるのだろう。
「あっ」
その瞬間、大脳が処理する知覚の速度が変わった。
うわぁ、やばい。どうするの。大丈夫、今ならまだ間に合う。左足を出せ! そうだ、左足だ。えっ、左足、どこ? 左足が、いない。
前だ。前を見ろ。青空だ。雲ひとつない。いい天気なのになんて日だ。
物置の灰色の屋根、軒先に吊られた柿、連なるオレンジ色の点々が目に飛び込んでくる。
どうして走ったりしたのだろう。走ることなどめったにないくせに。
なぜつまずいたのだろう。3段の石段を2歩でのぼろうとでもしたのか。
いや、ただ勢い余って、2歩になってしまったのだ。
後悔が押し寄せる。
あぁ、骨粗鬆症なのにぃ。
ぜったいに、下手な転び方をしてはならない。
池の縁に立つ灯篭からツツジの低木へ。その根元へ。目線は下へ、手前へ。そして真下の敷石へ。
敷石が迫り来る。硬く冷たくぬるりと光る敷石が迫り来る。このままでは顔面を敷石に、打ちつけたくはなーい!
左手。左手が前に出ている。もっと伸ばせ。探すんだ。つかめ。すがれるもの、つかめるもの、何もない。もどかしい。けれど、なんとかしなければ。なんとか、なんとか、しなければ……
443文字。
一呼吸の後、敷石の縁に植えられたリュウノヒゲのこんもりとした膨らみに頭を乗せて、うずく身体を横たえている自分に気づいた。左肩が痛い、左手の親指が痛い、左の尻が痛い。
敷石に顔面は避けられたので、左手を伸ばした甲斐はあったらしい。
起き上がろうと左手を引き寄せる。痛くて肘がまがらない。力が入らない。左半身をかばいながら、右手を身体の下に入れ、上半身を持ち上げる。
両足を引き寄せ身体を起こす。右手で左肘を固定したまま立ち上がる。
敷石に落ちていた枯れ葉があちこちにくっついているが、払うすべもない。
棒立ちになったまま、身体のしびれが引くのを待つ。
足は健在のようだ。行方不明になっていた左足もしかと地面を踏んでいる。
左手のめいっぱい伸ばしは、左側面全体で着地するという結果をもたらし、骨粗鬆症のわたしの足を骨折から守ったようだ。
そろりそろりと庭を横切り、家に入る。
不機嫌になっているであろうと思っていた人は、まだ到着していなかった。
脳の血流が一気に落ちて、その場に座り込んだ。
その後、左側面の肘と二の腕と尻と膝にアザができた。『膝?』そうか、左足、キミも行動を共にしていたんだね。
知覚の速度を書いてみたら、わかったことがある。
わたしの大脳は、咄嗟の時、下半身の感覚器官からの伝達を知覚できない。よって下半身への運動出力も伝達できない。
危険回避に集中せず、余計な情報に翻弄される。あきらめがはやい。
そんなこんなで443文字程度の情報しか処理できない。
転ばないように、くれぐれも気をつけよう。