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レビュー『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』
コロナの反動か、旅する紀行モノの本が無性に読みたくなります。
そんななか発見したのが、国語の教科書でおなじみの『枕草子』に対して、深い興味と共感を持って来日したフィンランド人女性の日本滞在記。
「フィンランドの女性 x 清少納言『枕草子』 x 京都」という組み合わせに惹かれて手に取りました。
本書の特徴は、清少納言を「セイ」、紫式部を「ムラサキ」と呼び、どちらもまるで現代に生きているかのような感覚で語り口。
とくに「セイ」は著者自身の分身のように身近に感じられており、「セイ」に語りかけるようにエッセイがつづられています。
その理由は、清少納言が1000年前の存在でありながら「キャリア女性の元祖」であり、現在のインフルエンサーのように自己主張をしているから。
そこで著者は、清少納言とはいったいどのような女性で、何を考えていたのかを、清少納言がいた京都で身近に感じとりたいと思い来日します。
現代のキャリア女性ならではの視点で清少納言を評価してあり、新しい切り口だと思いました。
これにより、退屈な古典の授業でならった「清少納言」という人物が、はじめて生きた女性として感じられました。
また、清少納言の「をかし」の世界と、源氏物語に代表される「もののあはれ」のメランコリックな世界と対比がおもしろく読みました。
著者のミア・カンキマキ(Mia Kankimaki)さんは1971年、フィンランドのヘルシンキ生まれ。
国立ヘルシンキ大学比較文学専攻卒業したのち、編集者、コピーライターとして活動。
その後、本作でデビューしました。
大手出版社に勤めていたアラフォーの彼女が人生に飽きてしまい、「もうここにいたくない」という気持ちになって長期休暇を取ったのが本書誕生のきっかけです。
いわば中年期のアイデンティティクライシスといえるでしょう。
そんな彼女が、文学研究者であるわけでも日本語に堪能なわけでもないなかで、フィンランドから「清少納言研究」のために日本に来るという選択をした行動力におどろかされます。
そして、それを許容するフィンランドの長期休暇制度や、助成金の支援もすごいと思いました。
彼女は、枕草子の英訳版「The Pillow Book of Sei Shonagon」を知ることで、その随筆に夢中になり、関連書籍を出版するアイディアを得ます。
そのアイディアをフィンランド出版会に申請して、2010年春に1万ユーロ(約150万円)の助成金を得ることに成功。
そして、春に3ヶ月、秋に3ヶ月ほど京都に滞在します。
驚かされたのが、著者が日本語がまったく喋れず、読めないこと。
そのうえ、日本語学習への熱意もない点です。
この姿勢は、他国の文化を研究する点で限界を感じつつも、アカデミックでなければ他言語は学ぶ必要がないと、他文化に関することや紀行本を書きたい人の敷居をさげてくれています。
具体的には、大学の教授や研究職でもない一般の人が、たとえばフィンランドの偉人に興味をもって場合、フィンランド語をわざわざ学ぶ必要はなく、ただフィンランドに行けばいいということです。
本書は、遠い平安朝に生きた憧れの女性「清少納言」を追いかけて、フィンランド人女性がヘルシンキから京都を旅するエッセイ。
仕事にも人生にもうんざりしたアラフォーシングルの著者が、長期休暇制度を使って来日。
うだるような京都の夏の暑さや、同居人たちとのドタバタ劇、博物館や図書館での資料探し、女性が生きていくことの困難さ……。
「清少納言」を軸に、著者自身がかかえる新しい人生への期待と不安を、鮮烈に描いた作品です。
読者にとって、清少納言を現代の視点で見直すことができ、刺激的な著作といえます。
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