どうやったら多作(Prolific)になれるのか?
さいきん気になる言葉が「Prolific」というもの。
「多作」や「多産」の意味があります。
たとえば、もっとも多作な画家として知られるピカソは、「Most prolific painter」としてギネスに登録されています。
かれが生涯に制作した作品数は、およそ15万点近く!
なぜこの「Prolific」という言葉が気になっているかというと、主夫であり学生であるという、時間的に余裕がある身でありながら、たいした成果をだせていないから...
なので、もっとアウトプットを増やさなければなぁ、と思っている次第です。
今回の記事では、Prolificの必要性と、そうなるためにはどうしたらいいのかについて、考えてみたいとおもいます。
そもそもなぜ多作である必要があるのか?
『アーティストのためのハンドブック』で紹介されているおもしろい実験が参考になります。
ある学校の陶器をつくる授業で、生徒を以下の2つのグループに分けました。
・作成した壺の「量」で評価されるグループ
・作成した壺の「質」で評価されるグループ
この結果、「量」で評価されるグループのほうが、「もっとも質の高い」壺を作り出しました。
この実験は、量(多作)をこなすことによって、質に転嫁させることができるという良い例となっています。
完璧主義を排してミスから学ぶ
上記の実験の結果は、以下のようにまとめることができます。
・「量」のグループは、おおくを作成する間の失敗から学び、それを反映した
・「質」のグループは、「完璧につくる方法を考えること」に時間を使い、実際の作品に反映できなかった
「量」のグループはミスから課題を発見しており、改善することができました。
いっぽう「質」のグループは、完璧主義の状態におちいり、課題を発見するというフィードバックを得ることができませんでした。
まずは完璧主義を排し、ミスから学ぶというサイクルが必要といえます。
量を質に変えるには「稽古」が必要
上記の「ミスから学ぶ」と同じように重要なのが、「稽古」という考え。
一般的にひろまっているのは、「たくさん練習(量)すれば、質が向上する」という意味あいで「量が質に転化する」というもの。
しかし、ただ単にがむしゃらに練習(量)をこなしても、まったく質が向上しないケースも。
それはなぜかというと、「稽古」の量をこなしていないからです。
「稽古」という言葉は「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という意味。
言いかえると、すでに確立された「正しいやり方」(いにしえ)を、いまに照らし合わせて活かす(かんがえる)ことといえます。
ですので、まずは「正しいやり方」を知っているかどうかが大切です。
たとえば、人差し指だけをつかったタイピング練習をいくらくりかえしても、すべての指をつかったタイピングにはかないません。
まとめ
「多作(Prolific)」になるためのアプローチに焦点を当て、その必要性や具体的な方法について考察してきました。
多作である必要性は、量をこなすことで質が高まるという点にあります。
また、完璧主義を排して試行錯誤をかさねることで、ミスから学び質の向上につなげられます。
さいごに、単なる練習だけでなく、「稽古」という正しい方法での反復が大切です。
これらのアプローチを実践することで、多作なクリエイターとして成果をあげる可能性が高まりそうです。