レビュー『冒険の書 AI時代のアンラーニング』
授業料無料でプログラミングが学べる「42 Tokyo」で学んでいるものとして、教育の在り方については関心は高いほうです。
そんな教育の歴史や、これからの教育の在り方について語られており、面白かったのが本書。
教育に関わっている人や、学びなおしに興味のある社会人にオススメです。
いままので教育
まずは、古今東西の哲学者、思想家について言及されており、そのボリュームの多さに驚かされました。
時代の変遷とともにそのときの常識や価値観といったものが変わり、思想家たちの影響で、社会制度自体が変わってきたことがわかります。
たとえばロックが、子供は「タブラ・ラサ(真っ白な白板)」と考えたこと。
そしてルソーは、著書エミールの中でこどもの特別さに注目し、文明にゆがめられる前に自然人として教育することを目指した結果、こどもとおとなの境界が発生することに。
オーウェンが二人の影響をうけ、子供たちにとって良い環境が必要だと考えたことから、いまの学校ができました。
ほかにも、ミシェル・フーコーの唱えた「パノプティコン(人々を監視するためにもっとも理想的な建物)」の様に、生徒が自ら権力に服従するシステム。
そしてランカスターやウィルダースピンが、工業製品のように均一な品質の人間を育成するために、クラスやギャラリー方式の授業を開発。
これからの教育
このように、思想家たちの働きかけで学校が進化してきましたが、均質な教育を施すシステムは、多様性が求められる現在には最適ではなくなってきています。
それではどうすればいいかというと、まずは「能力信仰」をやめること。
テストの点数ですべての人を画一的に計ることは、その人本来の才能の判断にはなりませんし、時代に求められている多様性は、テストの点数には反映されないからです。
それに、AIが普及している現代において、記憶力偏重の教育システムは時代遅れといわざるえません。
著者の「本人のやる気や励みにならない評価なんていらない」の意見に100%同意します。
逆にこれからの時代は、解決策を出すよりも「良い問い」を生み出す力が必要です。
そのためにも必要なのは、いままでの教えを解きほぐし、新たな学びを探求する「アンラーニング」。
まずは、「基礎から学ぶ」ということを辞めることが必要です。
というのも、人間の知恵や技が、基礎的なものの組み合わせでつくられているという考え方にはなんの根拠もない、と著者は語り、どのような分野であれ段階的に発達してきたわけではないと教えてくれます。
つまり、基礎から応用へは一本の道ではありません。
むしろ、人類の知恵はいろいろな問いや結論がたがいに結びつき、からみあった「巨大な網の目」のようなものだと著者は語ります。
おわりに
本書はこどもたち向けに、AI時代の学びについて語られた本。
過去、偉人の思想の変遷を明らかにしながら、教育の進化が分かりやすく説明をされており、とても勉強になりました。
非常に幅の広い知識と経験から書かれたた本書は、なぜ学校に行くのか、なぜ基礎から学ばないといけないのか、といった本質的な問いを軸に話がすすみます。
「本来、遊びと学びと働きはひとつのもの」で、まったく別々のものだと分けらてしまったがゆえに、すべてがつまらなくなってしまったという論には納得。
本書をつうじて、他人の評価を気にせず、学びを楽しくするために必要な価値観を学ぶことができ、自らの興味関心に従って学び、社会にその学びを活かしていこうと思いました。