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神話と孤独について - 『ユング自伝』を読む - 夫婦の読書会#6

夫婦で『ユング自伝』を読み進めており、下巻を読み終えた。

下巻の後半部分は、来世や死後の世界について語る「死後の生命」、人と神話の意味について語る「晩年の思想」、フロイトや妻との手紙や、ユングの内面に形成されたイメージを伝えた「死者への七つの語らい」が収録された「付録」から成っている。

巻末には、ユングの用いたキーワードの簡単な語句説明もついている。

神話の重要性について

「晩年の思想」では神や神話について語られるのだが、そこで紹介された「エノクの書」というものに興味を持った。

「エノクの書」はいわゆる儀典のひとつで、紀元前200年以後に書かれたいくつかの文章を集めたものだ。

キリスト教発生直前のユダヤ教終末思想と、その終末思想がキリスト教へあたえた影響を知る上で重要な書とされている。

内容は天使、堕天使、悪魔の記述が多く、天界、地獄、最後の審判、ノアの大洪水についての予言などが語られ、キリスト教の初期には広く知れ渡っていたようだ。

この書をユングも重要視しており、なぜかというとそれが神話だからだ。

そもそも神話についてのユングの考えは以下の文章に凝縮されている。

「神話は無意識と意識的認知との間にある、自然で欠くことことのできない中間段階である。」

「神話は生き、育っていかないかぎり、死んでしまうことを人々は知らないのだ。」

無意識というのは、意識よりも多くのことを知っているが、それは特殊な知識と呼べ、知的な言語では表現することができない。

知的な言語では表現できないことと矛盾するようだが、それら、たとえば見た夢についての記述をしていくことによって、理解の範囲に入れることができ、いままで知らなかった新たな側面を浮かび上げることができる。

自分では「悪」だと思っていることもそうだ。

この世界には予期しないことや、信じ難いことで存在しており、それでこそ生が全体性を持つのに必要なことだ。

すべてのエネルギーが対立物から生ずるとユングは言い、心もまた内的な対極性をもつ。

孤独とは

ユングの定義する「孤独」が、ぼくが普段から馴染んでいる「孤独」という言葉とは違った。

自分の周囲に人がいない時に生じるものが孤独と思っていたが、ユングにとっての孤独の定義は以下である。

・自分にとって重要と思えることを他人に伝えることができないときが孤独。
・他人が許容できない何らかの視点を、自分が持っていることが孤独。

ここで面白いのが、さらに議論を発展させ、多くのものを知ることが孤独となることに繋がり、その孤独によって人は、他人との交わりをより感じるようになるというものだ。

自分の個性を忘れずに、自分と他人を同一視しない時にのみ、真の交わりが始まるとユングは言う。

真の交わりには、孤独が必要だったのだ。

確かに自分を偽わり、他人に気に入れられる自分を演じることは、友好を温めるには有用かもしれないが、自分を偽る時点で真の交わりとは言えないだろう。

おわりに

分析心理学を築いたユングの自伝は非常に内容の濃い本で、10ページ読み進めるだけでも30分ほどの時間が必要だった。

ユングが神秘術や錬金術を研究し、心理学にとりいれたことによって、ユングの心理学はオカルトの一種と考える向きもある。

自伝を読むと、確かに表面的にはオカルトの匂いがするし、それは彼の探究した核心に迫ることができていないからだと思う。(ぼくも全然迫れていないのだが)

ユングの見た夢やイメージ、それらについての考察が、無意識を紐解くことにつながっていく、非常に刺激的な内容だった。

まだまだ彼の語ることをを消化しきれていないので、時間を開けて読み直したいと思う。

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